『七日間の初恋』【2】

 

【三日目】

 

 数回のコール音の後に、マーロンは受話器を取った。

『マーロンお姉ちゃん!』

 相手はブラだった。

 こんにちは、昨日は楽しかったねと一通り会話をした後、ブラは少し声を落として言った。

『あのね、昨日の夢のことだけど・・・』

「どうだった?」

『ちゃんと見れたよ。あの人にも会えたの。お話しもできたよ』

「良かったねー。どうだったのかなって心配だったんだ」

『あの・・それでね。お願いがあるの。

 私の夢のこと、誰にも言わないでほしいの』

「? どうしたの」

 何故という理由の説明よりも、現状の説明をマーロンは問うた。

何よりも、ブラの声の落ち込み具合が気になったのだ。

 ブラの返事は、なかなか返ってこない。

 ブラの頭の中では、16号の言葉が頭の中で何度も蘇ってきていた。

 そして一つの考えが焼け付いて離れなかった。

 

 彼の存在を、現実に持ってくるのは、いけないのではないだろうか。

 

 だがそれをどうやって彼女に説明しよう。

 自分のことを気にかけてくれた彼女に対し、もう関わるなというのはあまりにも冷たいことだと思いつつも、

 16号のことを夢の世界以外で口にすると、何故だか酷く悲しく思えてきた。

「うん。判った。誰にも言わないよ」

 マーロンのその言葉に、ブラは我に返り、もう一度聞き返した。

『本当に!?』

 何をどう判ってくれたのは知らないが、彼女は絶対に嘘はつかない。

その彼女が言ってくれたのだから、まず安心していいだろう。

『ごめんなさい・・・』

「いいの。それよりも、夢は楽しかった?」

『・・・うん!』

「良かった。それなら私ももうそれで充分。

 いっぱい楽しんでね」

『うん! ありがとう』

 相手の通話が途絶え、マーロンはちょっと視線を上の方に向けた。

 過去を思い出すときの視線だ。

 昔、自分がまだブラよりも小さかった頃。

 その存在を教えてくれたのは、意外にも叔父だった。

 連れていかれたその部屋で、彼に見せられ、話してくれたその日のコトを、マーロンは今でも忘れない。

 過去に聞いた話から推測すれば、ブラは『その人物』から別に口止めされているわけではないのだろう。

 つまり、直感的に彼女は気づいているのではないだろうか。

『その人物』が、もうこの世界と接触出来ないことに。

 その悲しみを感じ取り、あえて自分からも接触しないでおこうと思ったのではないだろうか。

 優しいが、悲しいことだとマーロンは少し表情を落とした。

 

 

 初めて感じた感覚と、

 二回目に感じた感覚をよく思い出してみる。

 この世界は確かに綺麗だが、少し冷たい気がした。

 肌に突き刺さるような冷たさではない。痛みを感じるようなものでもない。

 ただ僅かに、暗い深海のような静かな悲しみを感じた。

 どうしてなのか、ブラには判らない。

 だが残念なことには変わりなかった。

 これさえなければ、この世界はとても素敵になれるのに。

 とぼとぼと歩いていると、やがて件の巨木が視界に現れ、彼の姿も見て取れた。

「16号!」

 駆け寄ろうとしたが、周りにいる小動物たちのことを思い出し、ゆっくりと歩み寄る。

 動物達に気をつけながら、ブラは空いている空間にちょこんと座った。

 ちょろちょろと集まる動物達を相手にしながら、ブラはちらりと16号を見上げる。

 彼はいつものように、静かに微笑みながら、自分を見つめていた。

 聞きたいことは山ほどあるが、どれも聞いてもあまり楽しいことにはならないような気がした。

「貴方は、ここで何をしているの?」

 それでも、何か話しをしてみたくて、ブラは周囲を見回しながら素直な感想を述べた。

 だが16号はしばし首を傾げ、そしてゆっくりと答えた。

「この世界といる」

「この世界?」

「ああ、この世界が、今の俺の全てだ」

「いいなあ。私もいたい。

 いちゃダメ?」

 それは素直な気持ちだった。

 こんな素敵な世界にいられたら、どれほど良いだろう。

 そして何よりも、この人と一緒にいられるのなら、それは更に素敵なことになるに違いない。

 その時、ブラは突然立ち上がった。

「どうした? ブラ」

「・・う、ううん。

 何でもない」

 ふるふると首を横に振って、ブラは座り直す。

 何故か、ブラは彼に伝えることが出来なかった。

突然、この『世界の雰囲気』が変わったことに。

 

 

【四日目】

 

 

 この三日間の夢。

 あれは本当にただの夢なのだろうか。

 少なくとも彼の言葉はただの夢だとは思えない。ちゃんと自分の現実と一致していたのだ。

 自分の夢なのだから、好きに出来るかもしれないとも思ったが、彼の存在がよく判らない。

 私はどうして彼の夢を見るのだろうか。

 

 でも、私はあの夢が好きだ。

 

 あの景色が、自然が、風が、そして16号が大好きだ。

 あの世界の全てが、とてもとても、好きで堪らなくなっている。

 また見たい。どうしても見たい。

 あの世界に、また行きたい。

 ブラは半ば駆け足で母のラボに向かい、例の箱を手に取り、胸の中に抱いた。

 この中に、あの世界が広がっている。

 私はその世界に行ける。

 少しでも早く行きたくて、ブラは日の高い内にベッドにもぐりこんだ。

 眠ればすぐに行ける。早く早く、あの世界に行こう。

 興奮気味で中々寝付けなかったが、ブラはようやく眠りに堕ちていった。

 

 

「・・・・・・・・・ら」

 

 ? 何? 

「こら!」

 びくりと身体を震わせ、ブラは文字通り飛び跳ねながら起きた。

 慌てて辺りを見回すと、すぐ目の前に母の顔があった。

「こんな昼間から寝たら、夜寝られなくなっちゃうわよ!」

「え・・私・・寝てたの?」

「寝てたの? じゃないでしょ。もう」

 呆れる母の声が徐々に遠くなる。ブラの意識が完全に内に篭っていってしまった。

 寝てたの? じゃあ何であの世界に行けないの?

 もしかして、もう行けないの!?

「そんな・・・」

 じわりと溜まった涙が零れ落ちるのも構わず、ブラは頭の中でぐるぐると同じ問いを巡らせていた。

「ちょっとブラ! どうしたの」

 どうしよう。どうしよう。どうすればあの世界に行けるの?

 やがて母の手が軽く頬を打つ感覚に、ブラの意識がようやく現実に引き戻された。

「ブラ。しっかりしなさい」

「・・ママ」

「どうしたのよ一体・・」

 

『どうしようママ! 私、もう16号に会えなくなっちゃった!』

 

 そう叫ぼうとした。

 叫ぼうと、口が開いた。

 だがブラは、寸前でそれを抑えた。

 どうして抑えたのか判らない。だがどうしても言えなかった。

 彼の存在を、この現実に持ってきてはいけない。

 今ではそれを、はっきりと認識していた。

「・・・あ、

 ごめんなさい・・・。もう、大丈夫」

「本当に? まだ大丈夫じゃないみたいだけど」

「平気。もう起きるね」

 ぴょんとベッドから降りて、ブラは部屋の扉を開ける。

 これ以上母から何か聞かれては困る。逃げるように、ブラは部屋を飛び出していった。

 

 

 あ。

 気がつけば、自分はあの草原の上にいた。

 また・・来れた・・・。

「良かった・・・」

 胸をなでおろし、ほっと一息ついて顔を上げたその先に、それまでなかった大木が現れた。

「16号!」

 大木の根元に腰掛けている16号に向かってブラは駆け出し、その胸の中に飛び込んだ。

 ああ、また会えた。良かった。本当に良かった。

 声も出せないほどの歓喜に満ち溢れたブラは、そのままずっと彼の胸の中で幸せをかみ締めていた。

「ブラ。どうした?」

 突然のブラの抱擁に、だが慌てるでもなく16号は静かに訊ねる。

 いつもの静かで穏やかな彼の声は、ブラをようやく落ち着かせることが出来た。

 抱きつく姿勢をそのままに、視線だけ16号に向けながら、 

「寝たのに、ここに来れなかったの。

 でも今度は来れたから嬉しい! 本当に良かったあ」

「そうか、それは良かったな」

 あの大きな掌で撫でてくれる感触が心地よく、夢の中なのにブラは睡魔に襲われそうになった。

 まどろむ意識の中で、ブラの口から無意識に言葉が溢れた。

「幸せ・・・」

「何がだ?」

「ここにいると、幸せになれるの。

 私、ここ大好きよ」

「ありがとう」

「もっと早くあの箱を見つけてれば良かった。

 そうすれば、もっと早く貴方に会えたのに」

「あの箱?」

 少し身体を離し、今度は16号に寄りかかるような体勢で、ブラは両手で空間を作った。

「これくらいの透明な箱でね、中に何かの部品みたいなのが入ってるの。

 それに触れてからなの。ここに来れたのは。

 あの箱が16号と引き合わせてくれたのね。

 でも、あれは本当に何なのかな?」

「それは、どこにあった?」

「ママのラボにあったの。

 あ、ママなら知っているかも」

「何も聞いていないのか」

「うん。この前初めて知っただけなの。明日、ママに聞いてみるね。

 きっと貴方に関係したものよ! だから貴方の夢が見れるんだわ」

「ブラ」

 はしゃぐブラとは対照的に、16号の声はとても重かった。

「全ての物事が、決してお前に優しいとは限らない」

 突然の謎掛けような言葉に、ブラは16号を見上げたまま固まった。

「・・・え?

 何、どういうこと?」

「俺も、お前に優しいとは限らないんだ」

 首を横に振り、そう言い放つ16号に向かって、激怒するようにブラは叫んだ。

「どうして? 貴方はこんなに優しいじゃない。

 だから私も、貴方のことこんなに好きになれたのよ!」

 そう口にした瞬間、世界が凍りついたような感覚が、ブラの身体に突き刺さった。

 それは比喩でも何でもなく、本当に世界が凍ったのだ。

 風が止み、雲は流れを止め、空気までもが動きを止める。

 異常な感覚に陥りながらも、ブラは16号の手を取って尚も言葉を言い続けた。

「貴方が好きよ」

 凍る世界のように、彼も凍っている。

だがやがて、自分の握っていた手が、ゆっくりと握り返された。

 その瞬間、世界はまた動き出した。

「・・ありがとう」

 爽やかな一陣の風が、二人の間を軽やかに通り過ぎる。

「ありがとう。ブラ」

 世界が、より一層の輝きに満ち溢れた。




←【1】へ   【3】へ→