『七日間の初恋』
【一日目】
何コレ?
母のラボで暇を潰していたブラは、何気に目に入った透明の箱に手を触れた。
その中には鈍色に光る金属が、室内の明かりを反射し、ブラの瞳に映る。
何かの部品? でも何でこんな箱の中に・・・。
ただの部品にしては、それはあまりにも丁重に保管されていた。
母に聞けば判るだろうか。
でも特にこれと言って、興味を覚えたという訳ではない。
まあいいか。ママのモノ勝手に触ったってバレたら怒られちゃうし。
最初と同じように何も考えず、ブラは箱を元の位置に戻し、部屋を後にした。
そしてその夜、夢を見た。
※
一面に鮮やかな草原の海が広がっていた。
どこまでも続く空の青は、今まで見たどんな青よりも美しかった。
吹き抜ける風はいつまでも心地よく、体中に受ける全ての感覚が素晴らしかった。
何ここ?
そう思っただけで、ブラはもう特に気にしなかった。
どこだろうと関係ない。こんな素晴らしい世界を堪能出来るのだから。
初めて訪れる場所だが、不思議と恐怖や不安は生まれなかった。
逆に、いつまでもこのままここいたいとすら思えるほど、ブラは一瞬にして、この世界に惹き込まれていった。
思わず足が駆け出す。もっとこの世界の感覚を体中で感じたかった。
吹き抜ける風と一体になったかのように、ブラはいつまでもずっと走り続けていた。
ふと、今まで何も遮られることのなかった景色に、新たな影が現れる。
それは遠目でもはっきりと判るほどの、巨大な樹木であった。
ブラは足を止めた。
その巨樹の根元に、誰かがいたのだ。
その誰かもまた、遠目でも判るほど巨大であった。
普通の女の子よりも幾分背が高く大人っぽいブラも、年齢的にはまだまだ幼い子供だ。
腰掛けているとはいえ、それでも自分の身長よりもかなり大きいその人物に、躊躇いを覚えないはずはない。
だがそれも最初だけのことだった。
鳥の羽ばたきが聞こえた。
小動物の小さな愛らしい鳴き声が聞こえた。
それらは全て、その人物に集まって行った。
私も行きたい。ブラはそう思い、また駆け出し、
「来るな」
だが彼の人物は、ブラが動く前にそう警告したのだ。
それはとてつもない静寂に似た声だった。
「来てはいけない」
どうして? 何でそんなこと言われるの?
訳が判らず、ブラはその場に立ち尽くす。
一方的に突き放され、ブラはふいに涙ぐんだ。
夢はそこで終わる。
【二日目】
昨日の夢の余韻がまだ抜けきらないまま、ブラは家の中を歩いていた。
あの夢は何だったんだろう。
最後だけは悲しかったが、それでもブラはあの素晴らしい世界にすっかり魅了されていた。
もう一度見たいな。
それに、何であんなこと言われなきゃいけないのか、あの人にも聞いてみたいし。
もう一度見れれば、だけど。
暫く歩いて、一つの部屋に辿りつく。
今日はここでお客を待たせているのだ。
ブラにとっては大切な、大好きなお客様だ。
数回ノックした後、扉を開けてブラは叫んだ。
「マーロンお姉ちゃん。今日は!」
「ブラちゃん」
振り向く仕草に、マーロンの金の髪がそよぐ。そしていつもの笑顔で挨拶をした。
「今日は」
ブラは彼女の笑顔が好きだった。大人とはまた違った清楚さとしなやかな仕草に憧れていた。
躾がいいのか、礼儀正しいその性格は、母からも見習えと言われるほどだ。
さっそく自室に招き、絶え間なく続く会話を楽しんでいると、時間はあっという間に流れていった。
まだまだ話し足りないブラは、マーロンの手を両手で握り締めた。
「マーロンお姉ちゃん。たまには泊まっていってよ」
「え、でも」
「着替えとかこっちで用意するから、一日くらい良いでしょ? ね」
「うーん」
考え、少し困った表情で小首を傾げる。
「・・ごめんね。今回はちょっと。
今度はお泊りで来るから」
不満はあったが、困らせたくはない。ブラは口を尖らしながら手を離した。
「本当にごめんね」
心の底から申し訳なく思っているその顔で言われては、これ以上我がままを言えるはずもなく、
「いいよ。私の方こそごめんね。
でも絶対、今度は泊まりに来てね」
「うん。約束するね」
指きりをしながら、ブラはふとマーロンに話してみたくなった。
むろん、昨日の夢のことだ。
「あのね。昨日変わった夢をみたの」
「夢?」
「うん。すっごく綺麗な世界でね。風も気持ちよくって、空もすっごく青くって。
あんな素敵な世界、私、初めてだったわ。
それでね、そこに変わった人がいたの」
「変わった人?」
「すっごく大きな人で、見た目怖そうなんだけど、
周りに鳥とか小さな動物とか集まっていって、とても楽しそうだったの。
私ね、そこにどうしても行きたかったんだけど『来るな』って言われちゃって。
何でだろ。私がその鳥や動物とか苛めるとか思われたのかしら」
言ったと同時にしゅんとなるブラの頭を、マーロンは優しく撫でる。
普段大人びてはいるものの、時折見せるこういったブラの子供っぽい所が、マーロンには可愛くて堪らなかった。
「そんなことブラちゃんがする訳ないのにね。
きっと別の理由があったんじゃないかな」
「別の理由?」
「うーん。私もはっきりとは言えないけど、ブラちゃんのことを悪く思った訳じゃないと思うよ。
ブラちゃんが良い子だって、誰が見ても判るもん」
褒められたことと、話したことに安心感が芽生えたのか、ブラの表情に再び柔らかさが戻った。
「ちゃんと聞けば、教えてくれるかな?
でももう一度見れるかしら・・」
考え込むブラに、マーロンも一緒に考え、やがて一つの考えを口にした。
「夢って、寝る前に見たものや、したことが関係するって言ってたよ。
ブラちゃん。昨日は寝る前どんなことしてたの?」
昨日の寝る前? 昨日はいつものように髪のブラッシングをしたり、ファッション雑誌を見たり、
それと、明日着る服の用意をしたり・・・あと何してたっけ?
別に、いつもと変わらないと答えると、じゃあ昨日初めてしたことは? と再度訊ねられた。
昨日初めてしたこと。
あ、とブラは口を開いた。
「お姉ちゃん。一緒に来て!」
「え? なに」
「もしかしてあれかも」
手がかりを掴んだ興奮からか、ブラはマーロンの返事を待たずに部屋を飛び出した。
母のラボに直行したブラは、扉を開けて足を止めた。
そこには既に先客がいたからだ。
「あ、叔父さん」
後から駆けつけたマーロンが、その人物の後姿に言葉をかけた。
くるりと振り向いたその人物は、特に何の表情も抱かず二人を見据える。
ブラはその顔に、思わず一歩引いた。
その人物と同じ顔の女性となら普通に会話が出来るのに、この男性にはまだあまり心を許せなかった。
彼は必ずマーロンを迎えに来る。
大好きお姉ちゃんを連れて行くその男に、ブラは幼心にも敵対心を感じていた。
理由は他にもある。
マーロンが彼に惹かれていることも、ブラは確信していた。
それが余計に、彼に対して苛立ち芽生えさせるのだ。
好かれていることを理由に、いつ彼がマーロンを独り占めするか判らない。
今日もまたマーロンを連れて行ってしまう。仕方の無いことだが、ブラはそれが堪らなく嫌だった。
無意識にマーロンの服をぎゅっと握る。それを素早く感じ取ったマーロンは、ブラの背中を優しく撫でた。
「叔父さん。まだ迎えは早くない?」
マーロンの言葉に、17号は部屋にあった時計をちらりと見た。
「まだこんな時間か」
「もう少しいて良い?」
「時間じゃないんだ。好きにしろ」
「ありがとう」
微笑むマーロンの隣を通り過ぎ、17号は部屋を出た。
「それで? ブラちゃん。ここに何があるの?」
ブラは慌てて服を手放し、こっちとマーロンを誘導した。
そして昨日見た小箱に手を触れた。
「これなの」
「これって・・・」
いつもと違ったマーロンの声に、だが興奮気味のブラは気づかなかった。
「何かの部品だと思うんだけど、これだと思う。
昨日はこうして見てたんだけど、これでまた見れるかな」
「あ・・・。
そうだね。見れたらいいね」
「うん!」
喜ぶ彼女に、何故かマーロンは言葉を続けられなかった。
それはとても重大なことだったのだが、あの『メモリ』を見ていると、どうしても言えなかった。
※
昨日の草原に立ったブラは、飛び跳ねながら喜んだ。
やった。やっぱりアレなんだ。あの箱に触れればいつでもこの世界に来れるんだ。
続けてブラは辺りを見回した。あれほどの巨大なモノだ。遠目でもすぐに判るはず。
暫く走り回りながら探していると、ようやくあの巨樹と、やはり腰掛ける人物を発見した。
今度は絶対に近づいてみせる。駄目だと言われるなら、なぜ駄目なのか絶対に聞いてみせる。
駆け寄るブラに気づいたのか、その人物は顔を向け、そしてまた口が動こうとして、
「何で来ちゃ駄目なのっ!?」
拒否の言葉より先に、ブラは問い返した。
先に言われたことにより意表を突かれたのか、何も声を発せず、彼の人物の口は閉ざす。
そして、何とも言えない笑みを浮かべた。
その笑みを見た瞬間、ブラは胸の奥に奇妙な鼓動を感じた。
感じながらも、ブラは問い続ける。
「ね? どうして」
「――何故来た」
「来たいから来たの。自分ばっかり楽しんでずるい。私も混ぜて」
自分の周りで戯れる動物達を指差され、その人物は苦笑を交えながら手招きした。
喜び勇んでブラは駆け寄る。自分が近づいても逃げない小動物にそっと手を触れた。温かかった。
「可愛い」
やがて自分の周りにも何匹かの動物が集まりだし、ブラははしゃぎながら上を、その人物を見上げた。
自分や動物達を優しく見守るその瞳は、初めて見るのにどこか見覚えのあるものだと感じた。
「あ、ごめんなさい。
私はブラっていうの。貴方は何て言うの?」
「16号」
淡々とした言葉だったが、ブラに衝撃を与えるには充分だった。
「じゅう・・ろく・・ごう?」
「名乗れる名前は、それしかない」
「もしかして、18号さんや17号・・さんと知り合い?」
「ああ知っている。仲間だった」
この人を含め、あの二人の名前がとても奇妙なことはブラも感じていた。
明らかに人としての名前ではない。だが誰もそれを不思議がらない。故にブラもその事に触れないでいた。
何よりも、大好きなマーロンの家族だから尚更だった。
「今日は、17号が来ていたな」
「知ってるの!?」
「ああ、それにマーロンも」
「それも知ってるの・・・? 何で? 貴方はあそこにいなかったのに」
「確かに、俺はいない。
もうどこにもいない」
その言葉に、途端にブラの心に不穏なもやがかかった。これ以上この人に聞いてはいけないと、高鳴る心臓が警告する。
「ごっ・・ごめん・・なさい。もういい」
落ち込み、うな垂れるブラの頭に、16号の大きな手がふわりと覆いかぶさる。
「俺の方こそ、すまない」
「ううん! いいの。私が悪いの」
必死に謝るその健気な姿に、16号は先ほどよりも大きく微笑んだ。
ブラの身体の中から、また奇妙な鼓動が発せられた。
「ブラは優しいな」
本日二度目の褒め言葉に、えへへとブラは破顔した。
「マーロンお姉ちゃんにも言われたわ」
「ブラはマーロンが好きなんだな」
「もちろん! 大好きよ。
でもすぐ帰っちゃってつまんないの。あの人もうちょっと遅く来ればいいのに」
むくれるブラに16号は楽しそうに微笑みながら、
「17号か。
だが仕方が無い。あいつもマーロンが大切なんだ」
ブラのようにな、と16号に嗜められ、やがて仕方なくこくんと頷く。
「でも安心した。あいつにもようやく大切な人が出来た」
「・・・あの人も、マーロンお姉ちゃんのこと好きなんだ」
「言葉には出さなくとも判る」
静かに、16号は目を瞑り、一言一言をかみ締める様に言葉を発した。
「18号の時も、嬉しかった」
「18号さんと、クリリンさん?」
「ああ、二人が結ばれたと知ったとき、本当に嬉しかった。
もう二度と声を掛けられなくても、俺は心の底から二人を祝福した」
目を閉じ、微笑む16号の顔を、ブラはずっと見つめていた。
彼の声は、どこまでも澄み渡る清水のように、だがとても温かく、ブラの心に沁みこんでいく。
不思議な人だなと改めて感じた。
この人は、あの二人と一体どういう関係だったのだろう。
先ほどのように心臓が警告するも、聞かずにはいられなかった。
「貴方は・・・」
無意識に、ブラは16号の手を握った。
「誰なの?」
16号は微笑んだ。
ただ微笑んだけだった。
そして首を横に振り、一言「すまない」とだけ言った。