『七日間の初恋』

 

【一日目】

 

何コレ?

 

 母のラボで暇を潰していたブラは、何気に目に入った透明の箱に手を触れた。

 その中には鈍色に光る金属が、室内の明かりを反射し、ブラの瞳に映る。

 

 何かの部品? でも何でこんな箱の中に・・・。

 

 ただの部品にしては、それはあまりにも丁重に保管されていた。

 母に聞けば判るだろうか。

 でも特にこれと言って、興味を覚えたという訳ではない。

 

 まあいいか。ママのモノ勝手に触ったってバレたら怒られちゃうし。

 

 最初と同じように何も考えず、ブラは箱を元の位置に戻し、部屋を後にした。

 

 

 そしてその夜、夢を見た。

 

 

 一面に鮮やかな草原の海が広がっていた。

 どこまでも続く空の青は、今まで見たどんな青よりも美しかった。

 吹き抜ける風はいつまでも心地よく、体中に受ける全ての感覚が素晴らしかった。

 

 何ここ?

 

 そう思っただけで、ブラはもう特に気にしなかった。

 どこだろうと関係ない。こんな素晴らしい世界を堪能出来るのだから。

 初めて訪れる場所だが、不思議と恐怖や不安は生まれなかった。

 逆に、いつまでもこのままここいたいとすら思えるほど、ブラは一瞬にして、この世界に惹き込まれていった。

 思わず足が駆け出す。もっとこの世界の感覚を体中で感じたかった。

 吹き抜ける風と一体になったかのように、ブラはいつまでもずっと走り続けていた。

 ふと、今まで何も遮られることのなかった景色に、新たな影が現れる。

 それは遠目でもはっきりと判るほどの、巨大な樹木であった。

 ブラは足を止めた。

 その巨樹の根元に、誰かがいたのだ。

 その誰かもまた、遠目でも判るほど巨大であった。

 普通の女の子よりも幾分背が高く大人っぽいブラも、年齢的にはまだまだ幼い子供だ。

 腰掛けているとはいえ、それでも自分の身長よりもかなり大きいその人物に、躊躇いを覚えないはずはない。

 だがそれも最初だけのことだった。

 

 鳥の羽ばたきが聞こえた。

 小動物の小さな愛らしい鳴き声が聞こえた。

 それらは全て、その人物に集まって行った。

 

 私も行きたい。ブラはそう思い、また駆け出し、

「来るな」

 だが彼の人物は、ブラが動く前にそう警告したのだ。

 それはとてつもない静寂に似た声だった。

「来てはいけない」

 どうして? 何でそんなこと言われるの?

 訳が判らず、ブラはその場に立ち尽くす。

 一方的に突き放され、ブラはふいに涙ぐんだ。

 

 夢はそこで終わる。

 

 

【二日目】

 

 

 昨日の夢の余韻がまだ抜けきらないまま、ブラは家の中を歩いていた。

 あの夢は何だったんだろう。

 最後だけは悲しかったが、それでもブラはあの素晴らしい世界にすっかり魅了されていた。

 もう一度見たいな。

 それに、何であんなこと言われなきゃいけないのか、あの人にも聞いてみたいし。

 もう一度見れれば、だけど。

 暫く歩いて、一つの部屋に辿りつく。

 今日はここでお客を待たせているのだ。

 ブラにとっては大切な、大好きなお客様だ。

 数回ノックした後、扉を開けてブラは叫んだ。

「マーロンお姉ちゃん。今日は!」

「ブラちゃん」

 振り向く仕草に、マーロンの金の髪がそよぐ。そしていつもの笑顔で挨拶をした。

「今日は」

 ブラは彼女の笑顔が好きだった。大人とはまた違った清楚さとしなやかな仕草に憧れていた。

 躾がいいのか、礼儀正しいその性格は、母からも見習えと言われるほどだ。

 さっそく自室に招き、絶え間なく続く会話を楽しんでいると、時間はあっという間に流れていった。

 まだまだ話し足りないブラは、マーロンの手を両手で握り締めた。

「マーロンお姉ちゃん。たまには泊まっていってよ」

「え、でも」

「着替えとかこっちで用意するから、一日くらい良いでしょ? ね」

「うーん」

 考え、少し困った表情で小首を傾げる。

「・・ごめんね。今回はちょっと。

 今度はお泊りで来るから」

 不満はあったが、困らせたくはない。ブラは口を尖らしながら手を離した。

「本当にごめんね」

 心の底から申し訳なく思っているその顔で言われては、これ以上我がままを言えるはずもなく、

「いいよ。私の方こそごめんね。

 でも絶対、今度は泊まりに来てね」

「うん。約束するね」

 指きりをしながら、ブラはふとマーロンに話してみたくなった。

 むろん、昨日の夢のことだ。

「あのね。昨日変わった夢をみたの」

「夢?」

「うん。すっごく綺麗な世界でね。風も気持ちよくって、空もすっごく青くって。

 あんな素敵な世界、私、初めてだったわ。

 それでね、そこに変わった人がいたの」

「変わった人?」

「すっごく大きな人で、見た目怖そうなんだけど、

 周りに鳥とか小さな動物とか集まっていって、とても楽しそうだったの。

 私ね、そこにどうしても行きたかったんだけど『来るな』って言われちゃって。

何でだろ。私がその鳥や動物とか苛めるとか思われたのかしら」

 言ったと同時にしゅんとなるブラの頭を、マーロンは優しく撫でる。

 普段大人びてはいるものの、時折見せるこういったブラの子供っぽい所が、マーロンには可愛くて堪らなかった。

「そんなことブラちゃんがする訳ないのにね。

 きっと別の理由があったんじゃないかな」

「別の理由?」

「うーん。私もはっきりとは言えないけど、ブラちゃんのことを悪く思った訳じゃないと思うよ。

 ブラちゃんが良い子だって、誰が見ても判るもん」

 褒められたことと、話したことに安心感が芽生えたのか、ブラの表情に再び柔らかさが戻った。

「ちゃんと聞けば、教えてくれるかな?

 でももう一度見れるかしら・・」

 考え込むブラに、マーロンも一緒に考え、やがて一つの考えを口にした。

「夢って、寝る前に見たものや、したことが関係するって言ってたよ。

 ブラちゃん。昨日は寝る前どんなことしてたの?」

 昨日の寝る前? 昨日はいつものように髪のブラッシングをしたり、ファッション雑誌を見たり、

それと、明日着る服の用意をしたり・・・あと何してたっけ?

 別に、いつもと変わらないと答えると、じゃあ昨日初めてしたことは? と再度訊ねられた。

 昨日初めてしたこと。

 あ、とブラは口を開いた。

「お姉ちゃん。一緒に来て!」

「え? なに」

「もしかしてあれかも」

 手がかりを掴んだ興奮からか、ブラはマーロンの返事を待たずに部屋を飛び出した。

 

 

 母のラボに直行したブラは、扉を開けて足を止めた。

 そこには既に先客がいたからだ。

「あ、叔父さん」

 後から駆けつけたマーロンが、その人物の後姿に言葉をかけた。

 くるりと振り向いたその人物は、特に何の表情も抱かず二人を見据える。

 ブラはその顔に、思わず一歩引いた。

 その人物と同じ顔の女性となら普通に会話が出来るのに、この男性にはまだあまり心を許せなかった。

 彼は必ずマーロンを迎えに来る。

 大好きお姉ちゃんを連れて行くその男に、ブラは幼心にも敵対心を感じていた。

 理由は他にもある。

 マーロンが彼に惹かれていることも、ブラは確信していた。

 それが余計に、彼に対して苛立ち芽生えさせるのだ。

 好かれていることを理由に、いつ彼がマーロンを独り占めするか判らない。

 今日もまたマーロンを連れて行ってしまう。仕方の無いことだが、ブラはそれが堪らなく嫌だった。

 無意識にマーロンの服をぎゅっと握る。それを素早く感じ取ったマーロンは、ブラの背中を優しく撫でた。

「叔父さん。まだ迎えは早くない?」

 マーロンの言葉に、17号は部屋にあった時計をちらりと見た。

「まだこんな時間か」

「もう少しいて良い?」

「時間じゃないんだ。好きにしろ」

「ありがとう」

 微笑むマーロンの隣を通り過ぎ、17号は部屋を出た。

「それで? ブラちゃん。ここに何があるの?」

 ブラは慌てて服を手放し、こっちとマーロンを誘導した。

 そして昨日見た小箱に手を触れた。

「これなの」

「これって・・・」

 いつもと違ったマーロンの声に、だが興奮気味のブラは気づかなかった。

「何かの部品だと思うんだけど、これだと思う。

 昨日はこうして見てたんだけど、これでまた見れるかな」

「あ・・・。

 そうだね。見れたらいいね」

「うん!」

 喜ぶ彼女に、何故かマーロンは言葉を続けられなかった。

 それはとても重大なことだったのだが、あの『メモリ』を見ていると、どうしても言えなかった。

 

 

 昨日の草原に立ったブラは、飛び跳ねながら喜んだ。

 やった。やっぱりアレなんだ。あの箱に触れればいつでもこの世界に来れるんだ。

 続けてブラは辺りを見回した。あれほどの巨大なモノだ。遠目でもすぐに判るはず。

 暫く走り回りながら探していると、ようやくあの巨樹と、やはり腰掛ける人物を発見した。

 今度は絶対に近づいてみせる。駄目だと言われるなら、なぜ駄目なのか絶対に聞いてみせる。

 駆け寄るブラに気づいたのか、その人物は顔を向け、そしてまた口が動こうとして、

「何で来ちゃ駄目なのっ!?」

 拒否の言葉より先に、ブラは問い返した。

 先に言われたことにより意表を突かれたのか、何も声を発せず、彼の人物の口は閉ざす。

 そして、何とも言えない笑みを浮かべた。

 その笑みを見た瞬間、ブラは胸の奥に奇妙な鼓動を感じた。

 感じながらも、ブラは問い続ける。

「ね? どうして」

「――何故来た」

「来たいから来たの。自分ばっかり楽しんでずるい。私も混ぜて」

 自分の周りで戯れる動物達を指差され、その人物は苦笑を交えながら手招きした。

 喜び勇んでブラは駆け寄る。自分が近づいても逃げない小動物にそっと手を触れた。温かかった。

「可愛い」

 やがて自分の周りにも何匹かの動物が集まりだし、ブラははしゃぎながら上を、その人物を見上げた。

 自分や動物達を優しく見守るその瞳は、初めて見るのにどこか見覚えのあるものだと感じた。

「あ、ごめんなさい。

 私はブラっていうの。貴方は何て言うの?」

「16号」

 淡々とした言葉だったが、ブラに衝撃を与えるには充分だった。

「じゅう・・ろく・・ごう?」

「名乗れる名前は、それしかない」

「もしかして、18号さんや17号・・さんと知り合い?」

「ああ知っている。仲間だった」

 この人を含め、あの二人の名前がとても奇妙なことはブラも感じていた。

 明らかに人としての名前ではない。だが誰もそれを不思議がらない。故にブラもその事に触れないでいた。

 何よりも、大好きなマーロンの家族だから尚更だった。

「今日は、17号が来ていたな」

「知ってるの!?」

「ああ、それにマーロンも」

「それも知ってるの・・・? 何で? 貴方はあそこにいなかったのに」

「確かに、俺はいない。

 もうどこにもいない」

 その言葉に、途端にブラの心に不穏なもやがかかった。これ以上この人に聞いてはいけないと、高鳴る心臓が警告する。

「ごっ・・ごめん・・なさい。もういい」

 落ち込み、うな垂れるブラの頭に、16号の大きな手がふわりと覆いかぶさる。

「俺の方こそ、すまない」

「ううん! いいの。私が悪いの」
必死に謝るその健気な姿に、16号は先ほどよりも大きく微笑んだ。

 ブラの身体の中から、また奇妙な鼓動が発せられた。

「ブラは優しいな」

 本日二度目の褒め言葉に、えへへとブラは破顔した。

「マーロンお姉ちゃんにも言われたわ」

「ブラはマーロンが好きなんだな」

「もちろん! 大好きよ。

 でもすぐ帰っちゃってつまんないの。あの人もうちょっと遅く来ればいいのに」

 むくれるブラに16号は楽しそうに微笑みながら、

「17号か。

 だが仕方が無い。あいつもマーロンが大切なんだ」

 ブラのようにな、と16号に嗜められ、やがて仕方なくこくんと頷く。

「でも安心した。あいつにもようやく大切な人が出来た」

「・・・あの人も、マーロンお姉ちゃんのこと好きなんだ」

「言葉には出さなくとも判る」

 静かに、16号は目を瞑り、一言一言をかみ締める様に言葉を発した。

「18号の時も、嬉しかった」

「18号さんと、クリリンさん?」

「ああ、二人が結ばれたと知ったとき、本当に嬉しかった。

 もう二度と声を掛けられなくても、俺は心の底から二人を祝福した」

 目を閉じ、微笑む16号の顔を、ブラはずっと見つめていた。

 彼の声は、どこまでも澄み渡る清水のように、だがとても温かく、ブラの心に沁みこんでいく。

 不思議な人だなと改めて感じた。

 この人は、あの二人と一体どういう関係だったのだろう。

 先ほどのように心臓が警告するも、聞かずにはいられなかった。

「貴方は・・・」

 無意識に、ブラは16号の手を握った。

「誰なの?」

 16号は微笑んだ。

 ただ微笑んだけだった。

 そして首を横に振り、一言「すまない」とだけ言った




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