『聴』3
「それにしても、あのウルキがあんな事を言うなんてねえ。
しかも子供とはいえ、あんなお嬢ちゃんに」
椅子に座って船をこぎながら、ヤナフは煤ボケた天井を眺めた。
「・・ウルキ殿は、その、失礼ですが。やはりベオグに」
「うん。あんたには悪いけど、あいつはおれ以上にベオグに良い印象は持ってなかったよ。
ここに来るまではね」
この軍に入った頃は、ウルキは他のラグズの者とは会話もしているが、ベオグとはあまり接しないようにしていた。
――ベオグの声はラグズよりも偽りに満ちている。それが不快で堪らない――
昔、彼はよくそう言っていた。
それでも少しずつだが、ベオグの者と接するようになっているのを、ちらほらと見かけることがあった。
この軍だからこそ、そうなったに違いないと、ヤナフはそう語る。
「おれもそれには同感だな。ここは本当に、すごいところだ」
「ええ。私も心からそう思います。
あなた方ラグズの方達と、こうして共にいられるなど、本当に、毎日が素晴らしいです」
ルキノの笑顔を、ヤナフは注意深く眺める。だがそれをルキノが知ることはない。
それが、心から信頼を寄せてくれる彼女に対して、申し訳なく思えた。
だから、いま言おうと決心したのだ。
「悪いな」
「は?」
「ウルキが言っていたよな。あいつの耳は、嘘を見抜けると。
それはおれも一緒なんだ。おれは普通の奴では判らない、表情の細部一つ一つを決して見逃さない。
だから、おれも常に相手の顔を見て、嘘か本当かを見抜いているんだ」
今もな、と視線を外さず、ヤナフは告げる。
「いつも・・ですか?」
「そう。いつも。
でもあんたを疑っている訳じゃない。これは性分なんだ。この目を持った時からの」
千里の範囲を見聞きし、そしてその真偽を見抜き、より良い情報を手に入れる。その為の力。
だがそれが偽りであっては意味が無い。
故に、事の真偽を図るのも、この力にはあった。
ルキノは改めて、目の前のフェニキスの騎士を見た。
なんと、辛い業を背負っているのだろう。
「そんな顔させる為に、言ったんじゃないぜ」
はっ、とルキノは我に返り、思わず頬に手をやった。
自分はどんな顔をして、どんな感情を悟られてしまったのだろうか。
「ただこれ以上隠してたら、いつまで経ってもあんたとは仲良くなれそうにないからな。
今まで不快な思いをさせて悪かった」
「いえ、そんな。
私の方こそ申し訳ありません。そこまでお気遣い下さったのに、何も気付かず」
「気付かれたらそれこそ目も当てられないさ。
それにな、これにも欠点はあるんだ」
言ってちょいちょい、と自分の目を指差し、ヤナフは一つ問いかける。
「あんたは、いま自分の視覚に入る全てを、視界を動かさずに把握できるかい?」
「え?」
彼の言葉に誘導されるように、ルキノは思考を巡らせた。
自分の視覚内にあるのは、ヤナフと、それにつくテーブル、椅子、食器棚、石の床に灰色の壁。
「おれと、このテーブルと椅子。床とか壁は判るよな。
でも食器棚は判っても、その中にある食器の種類と数までは判らないだろ?
ちゃんと視線を向けなきゃな」
そういうことかと、ルキノは悟った。
「広大な範囲全てという莫大な情報を、一気に処理するというのはさすがのおれでも不可能でね。
でも普通の奴等より、処理能力は優れているんだ。
だからおれに千里眼を、ウルキに順風耳を持つことが許されたんだよ。
それでも、やっぱり意識を集中させた方がより判り易いことは確かだな。
ということで、話しは最初に戻るけど。
おれもそうだけど、ウルキも常にこの自軍内とその周囲を警戒しているのさ。もちろん今でもな。
まあこれくらいの範囲なら、一人一人の姿や声を確認することはおれ等にとっちゃ簡単さ。
でも、やっぱり意識を集中した方が、尚更素早くできるんだ」
そこまで言って、にやっとヤナフは笑った。
「だから、おれはいつでもあんたの姿を、すぐに見つけられるだろ?」
ルキノはすぐに表情を引き締めた。
だが彼は、この一瞬の動揺さえも見逃さなかっただろう。
この人の言葉は、時に自分を激しく動揺させる。
だからこそ、ルキノは常に彼の前では気を引き締めてしまうのだ。
この動揺の意味を、決して悟られない為に。
「おれもそうだから、ウルキだってそうなんだよ。
つまりあいつはこれから、あのお嬢ちゃんを常に意識していくってことなのさ」
ルキノの複雑な心境とは裏腹に、あいつもヤキがまわったのかねーとからかい気味でヤナフは言った。
「はあ・・なるほど。そういう意味だったのですか」
しかし、とルキノはイレースの姿を思い出す。
「・・意識してしまう気持ちは、とてもよく判りますが」
そんな彼女の真剣な表情に、釣られてヤナフも思い出す。
「うん。おれも」
いま、目の前で倒れてもまず誰も不思議に思わないほど、いつも青白い顔でふらふらになりながら空腹を訴えるその姿。
心配だ。
二人の心が、いま、一つになった。