『聴』2

 

 はぐはぐはぐはぐはぐはぐはぐはぐはぐはぐはぐはぐはぐはぐ。

 

「で? なんでまたお前はこのお嬢ちゃんをかっさらってきたんだ?」

「お前じゃあるまいし、私はそのようなことはしない」

 ウルキの言葉に、ルキノの視線に含まれるものが変わる。ヤナフは慌てて言い変えた。

 

「おれだってしねーってそんな事。悪かったよしつこくて」

「・・・さきほど、私が森の中で小鳥の声を聞いていた時だ」

「まあ。素敵ですね」

 ルキノの賛同の声にすかさずヤナフが「顔に似合わず、可愛い趣味だろー」と野次を飛ばす。

 

 もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ。

 

「すると妙な音を聞いてな」

「妙な音?」

「不信に思い行ってみると、森の中でその娘が倒れていた。

 傍に寄るとまた音が聞こえ、ようやくその音の意味が判った」

 

 まぐまぐまぐまぐまぐまぐまぐまぐまぐまぐまぐまぐまぐまぐ。

 

「――腹の虫か?」

「そういうことだ」

「あぁ・・やっぱり」

 

 頭痛を堪えるようにこめかみを押さえながら、ルキノがイレースの視線を移すと、カチャリと音がした。

 食事の終了を意味する音だった。

 

「ごちそうさまでした・・・」

 

 ふうと一息つき、イレースは口元をナプキンで拭う。

 傍により、ルキノは笑顔で様子をみた。

 

「もう大丈夫? イレース」

「はい・・・少し落ち着きました。ありがとうございます」

 

 ――少し。

 

 二つのテーブルの上に所狭しと並ぶ皿の上の料理は、いまや跡形もない。

 自分にできることは、突っ込まないことだと、ヤナフは自己完結した。

 

 イレースは立ち上がり、今度はウルキに向かって頭を下げる。

「そちらの方も・・・ありがとうございました」

「大事無いのならばそれでいい」

「それにしても、どうして倒れてしまったの? 私が渡していた携帯食料はどうしたの」

「すみません。一回分ではやはり足りなくて・・・」

「・・あれは一回分じゃなくて、一応五回分だったんだけどね」

 気まずい沈黙が訪れる。

 その中で、イレースはゆっくりと小首を傾げる。

「すみません・・量的に一回分だと」

 

 食事量感覚があまりに違いすぎる。イレースを除く三人は改めてそう実感した。

 そんな三人の心境など露知らず、食器を片付け始めるイレース。

 そんな彼女の背を見ながら、ヤナフはこそりとルキノに訊ねた。

 

「おれも入った当初から見てたけど、ここ最近更に凄くなってないか? このお嬢ちゃんの食欲」

「そうなのですか? 私が知る限り、この量が通常だと・・・」

 ほっそりとした指を唇に沿え、ルキノは暫し思案した。

 

「魔力の激しい消耗も、原因の一つかもしれません。

 ここのところ、激戦が続いておりましたからね」

「うーん。でも戦況は更に過激になっていくのは目に見えているからな。

 それでついて来れないようなら・・・」

「あの・・」

 

 いつの間にか、イレースは二人の傍にいた。

 いつもの儚げな表情に、今は別の感情も混じっている。

「わたし・・頑張りから。

 なるべく倒れないように・・しますから」

「あ・・」

 

 不安と怯えに満ちた顔で、イレースは訴える。

 自分のうかつさに、ルキノは心の中で叱責した。

 この不安を生み出してしまったのは、他の誰でもない、この私だ。

 

「ごめんなさい。イレース。不安にさせてしまったわね。

 大丈夫よ。イレースの力もとても必要なんですから」

 普段はあまり感情をみせないが、それでもイレースが心から安堵したのは、誰がみても明らかだった。

 しかし、こうもどこそこで倒れてしまうのはやはり問題だ。

 だが彼女の量に見合う携帯食料となると、その量は半端ないだろう。

 具体的な解決策を見出せず、とりあえず食器を片付けた後、ふと、それまで沈黙を続けていたウルキが口を開いた。

 

「・・娘。いや、イレース」

 くるりと、声の主に向かい、イレースは振り向く。

「今回のように倒れ、動けなくなることは、頻繁にあるのか?」

「いつもは皆さんのご親切で・・なんとかやっているのですが。

 今日はたまたま・・・少し油断して遠くまで行ってしまったので・・そのまま動けなくなってしまい」

 申し訳なさそうに頭を下げるイレースに、ウルキは特に表情を変えず、言った。

 

「では、どうしても動けず危険だと判断した時は、私の名を呼ぶといい」

 

 いつものけだるそうなイレースの瞳が、珍しく見開いた。

「・・あなたの・・お名前?」

 背後から聞こえるヤナフの「おぉ!」という大げさな声を無視し、ウルキは続けた。

 

「名はウルキだ。私の耳は千里先の音も聞き逃さん。お前の声を拾うのも容易いことだ。

 だから私の名を呼べ。すぐにお前の下に駆けつけよう」

「でも・・ご迷惑では」

「行き倒れる方が迷惑だ」

 

 そこまでずばりと言い切られると、さすがにイレースは何も言い返せなかった。

 うな垂れるイレースに、思わず声を掛けようとするルキノを遮り、ヤナフが軽快に言った。

「お前って本当にまだるっこしい言い方が好きだねー。普通に心配だからって言えばいいじゃねえの」

「そういうつもりで言っているのだが?」

 呆れながらヤナフは首を横に振る。

「判んねえってそれじゃあ。大体お前は固いんだよ。口調も、性格も」

「あの・・・」

 

 二人の間に入るように、イレースの声が遮った。

 恐る恐るウルキの顔をうかがい、改めて彼の言葉を確認する。

「本当に・・いいんですか?」

「私の方は問題ない。

 ただし、一つ言っておく」

 小首を傾げながら、イレースはウルキの言葉を待った。

 

「私に嘘は通じない。

 声の響きから抑揚まで、この耳は鮮明に聞き取ることは出来る。

 故にそこから言葉の真偽を見抜くことなど造作も無い。

 だから、名を呼ぶときは本当に危険な時だけだ。小腹が空いたくらいで呼ばぬようにな」

「・・はい・・・判りました。

 ありがとうございます。宜しく・・お願いします」

 深々と、イレースは頭を下げた。

「それでは・・わたしはこれで」

 そう言って、イレースは扉に向かい、ゆっくりと開き、閉じる。

 

 それを見送り、やれやれとヤナフは肩をすくめた。

「相変わらず、疑り深いねお前は」

 そんなヤナフの呆れ顔とは対照的に、ルキノは笑顔で礼を述べる。

「ウルキ殿。私も貴殿のご厚意に感謝致します。

 私もなるべく彼女から目を離さぬように注意しますが、万が一の場合は、どうか宜しくお願い致します」

「・・承知した」

 一つ頷き、そしてウルキもまた退室していった。

 

 自分の疑り深さは重々承知している。だからヤナフの言葉に、ウルキはそれほど不快は感じなかった。

 それに、とウルキは改めて、自分の耳が拾った声を思い出す。

 下らないことで呼ばぬようにと念を押したあの時、きっとあの二人には聞こえなかっただろう。

 イレースの口から小さく「・・ちぇ」という声が漏れたのは。

 

 なかなかにふてぶてしい娘だ。きっとその調子で、今まで乗り越えてきたのだろう。

 少し協力する気が失せるのを感じながらも、ウルキは己を叱咤した。

 自軍内で行き倒れが出るなど、絶対にあってはならぬことなのだ。

 それに、これからも共に戦う者同士として、助け合うのが道理ではないか。

 それ以降は何も考えないようにしようと、ウルキはそう結論付けた。

 

←【1】へ 【3】へ→