『ひと時』2
「変わっちゃったんですって」
「何が?」
「ヨファの笑顔が。
ミストがそう言ってましたよ」
ふーん、とシノンは凝りをほぐすように、ぐりっと首を回した。
「そりゃあアレだな。殺される瞬間を体験したからだ。
あれからだもんなあ。あいつが俺の所に来るようになったのは」
以前、いつものように傭兵団が野盗退治をしていた頃。
逆恨みを買ってミストとヨファが誘拐されてしまうという事件があった。
シノンとガトリーがその知らせを受けた時には、アイクたちが既にその場に向かっていった後だった。
アイクはともかく、オスカー・ボーレ・ティアマトもいるのだ。速やかに終わると思っていたが。
最後の最後に、野盗の一人が悪知恵を働かせ、ヨファに危害を加えようとしていた。
その時駆けつけたシノンが男をしとめ、事件は本当に終わりを迎えた。
あれからだ。
ヨファが部屋を訪れ開口一番「お願いします」といい続ける毎日になったのは。
本来、シノンは役立たずが嫌いだ。
自分の力量も判らぬ、身の程知らずの馬鹿も嫌いだ。
無知の裏返しで純真な奴も嫌いだ。
まあそういう人間は、少しばかり世間の荒波にぶち当たれば、すぐに崩れ落ちるだろう。
ヨファはどうだろうか。
少年は己の可能性を模索し、そして今はそれを自分に託そうとしている。
純真さとはまた違う、ある意味絶望に立ち向かおうとする希望にみち溢れている。
以前のヨファの気迫とは、明らかに別物だった。
それほどまでに、生死の境を体験したコトが、よほど大きかったのだろう。
そして、何よりもまず、己の無力さに絶望したのだろう。
気合だけは充分だった。
ただ、それで強くなれるわけではない。
しごきに耐えられる根性と、何よりこいつに素質があるかどうか、シノンは少し興味を覚えた。
無ければ無いで納得するだろうし、あればあったで後はヨファ次第だ。
長い傭兵生活と、そして少し平穏すぎるこの場所に退屈していたのか。
シノンはヨファの希望を叶えてやるコトにした。
『まあやるからにはしごくぞ。
でも俺様は優しいから、お前が辛いと言ったら、すぐにでもやめてやるぜ』
つまり甘えればそれだけ適当になるということだ。
その意味だけはすぐに理解したのか、今日までヨファが弱音を吐くことは一切なかった。
少しは吐けよ。このままじゃあ俺は単なる親切な奴だろうが。
そんな言葉を言い放っても、ヨファは笑って「だって親切じゃないか」と一蹴する。
言葉はともかく、まだ笑顔を出せる余裕があるなら大丈夫だろう。
シノンとて、ヨファの笑顔を潰す気はなかった。
※
「変わっちゃったっていうか、オレは成長したんじゃないかと思いますね」
「まあ、度量はついたよな」
「ミストには悪いけど、オレは少し頼もしく思えますね。
ヨファもこうして色んな体験して、大人になっていくんスねえ・・」
「なにしみじみしてんだよ。お前はあいつの親か」
「いや親というか、可愛い弟みたいなもんスよ。素直でいい子だし」
「あぁあぁ、お前は特にそうだろうなあ。
いつもひねくれモンと一緒にいるから、ああいう奴は尚更可愛く感じるモンだよなあ?」
笑いながら横目で睨み付けるシノンの視線に、ガトリーは慌てて違う違うと否定する。
「そんなコトないっスよ! オレはシノンさんといられて良かったって常日頃感謝してますし」
「ほう? つまり俺をひねくれモンだと認めるというコトか」
「いやそのそんなコトはある、じゃなくてえーっとほら」
色々言い繕おうとするも考えがまとまらず、ガトリーは力押しに任せることにした。
「や! それにしてもヨファがこんなに早く上達するなんて、シノンさんの指導はさすがっスね!」
すり替えみえみえの絶賛をするガトリーに、だがシノンは大して反応はしなかった。
自分の指導か、ヨファの素質か、確かに少年の上達は思っていたよりもはるかにいい。
これならその内、オスカーやボーレ以上に活躍できることも、そう遠い未来ではなさそうだ。
「――まあ、今は言わねぇけどなあ。そんなコト」
「は? 何がっスか?」
「いいや。何でもねえ。
まああいつは今はただのガキだけどよ。
それでもでかくなりゃあ、嫌でも戦場に出るだろうよ」
「はあ、そうっスね。
ここにいれば、尚更ですもんね」
シノンはヨファに弓術を仕込んだことを、特に問題にはしなかった。
この傭兵団で暮らす以上、ヨファも団員として働くことになるだろう。
それが早いか遅いかの違いなだけだ。
「問題は・・ミストだな」
ヨファの身体に向けて、杖を振るうミストの姿を見ながら、シノンは呟く。
その呟きに、ガトリーの顔も少し強張った。
「キルロイに教わったのか」
「ええ、ヨファを見て、自分もって言ってました」
「そのまま戦場にも出る気じゃねえだろうな」
「さすがにそこまでは。
――でも、ミストも結構大胆な所がありますからね」
「あいつはここでやる事があるだろうがよ。
それに素質があるんなら、団長がとっくに鍛えてるはずだ」
「あ、そうっスね。それに団長の血を引いてるんだから、案外剣の素質があったりして」
軽く言うガトリーとは逆に、シノンの言葉は重みを増した。
「団長は、ミストだけは戦場に出す気はねえんだろうな」
グレイル傭兵団団長の娘にして、主に傭兵団の家事を引き受けるミスト。
それで充分ではないか。
わざわざあんな血生臭い経験などせずとも、暮らしていけるのならば。
「それにあいつも、わざわざ戦場に行きたいなんて、言うような奴じゃあねえだろうがな」
「でも、これがきっかけになったりしたら」
「・・それは、あいつの意思だ」
「それに、ミストもそうですけど、ヨファだって、団長はまだ鍛えようと言ったことはありませんよ」
「何が言いたい」
少し苛立ちを含ませるシノンの言葉に、ガトリーは恐る恐る言葉を出した。
「オレたち・・団長の意思に背くようなこと、してんスかねぇ・・・」
ガトリーはシノンの顔を見れなかった。
彼のグレイルに対する尊敬と忠誠は並大抵のものではない。
それを知っているからこそ、団長の意に反することするなど、シノンにとってはまさに恩を仇で返すことと同じことだろう。
だがシノンの声は、あいかわらずの抑揚だった。
「――それでもヨファの覚悟は本物だ。ガキだからとか、んなコト関係ねえよ」
「シノンさん」
「そろそろ休憩は終わるぞ。
ヨファ!」
声に、ヨファは立ち上がり、弓と矢を持ち上げる。
シノンは少年に向かって歩いていった。
今は、この少年の意志を汲むのが最優先だ。