『ひと時』

 

 

 丸太で出来た簡素な的の端を、射掛けた矢が通り過ぎたのを、ヨファは絶望的な気持ちで見送った。

 

「10発中9発か。最後の最後に気を緩めやがったな」

「ごっ・・・ごめん・・なさい」

 

 がくりと項垂れ、背後にいる師匠にヨファは詫びる。

 そんな少年に、それまで少し離れた場所で見守っていたミストとガトリーが声を掛けた。

 

「でも凄いよヨファ! ほとんど当たったじゃない」

「そうっスよシノンさん。正直オレもここまで出来るとは思わなかったし」

「うるせぇ。外野」

 振り向き、ぎろりと一睨みしながら、再びシノンはヨファに言い放つ。

 

「落ち込んでる暇はねぇぞ。早く戦場に出たけりゃ、さっさと再開しろ」

「はい」

 

 素直にこくりと頷き、的に刺さった矢と、外れていった矢を拾いに、ヨファは駆け出した。

 その間にミストもまた、シノンの傍に近づき、上目遣いで睨みつける。

 

「でもほとんど当たってるんだから、少しは褒めてもいいじゃない」

「こんなんで褒めてられるかよ。弓兵ってのは外せばそれで終わりだ」

 

 他の誰でもなく、現役の弓兵の言葉は、その意味を更に色濃くさせる。

 

 外せばそれっきり、次に来る一撃で、全てが終わる。

 だから何よりもまず優先させるのは、確実に当てる技術を身につけることだ。

 

「それはそうだけど・・・」

 まだ何か言いたそうなミストに、シノンは先手を打った。

 

「俺様のやり方に文句があるんなら、さっさとやめればいいだろうがよ」

「やめないよ」

 

 いつの間に戻って来たのか、ヨファはまっすぐにシノンを見つめ、そう言い切った。

 あまりにもはっきりと言い切るヨファに、言葉を失くしたミストは、そのまま少年を見つめるコトしか出来なかった。

「もう一度、お願いします」

 

 深々と頭を下げ、そしてまた矢を番え、弓を構える。

 弦を引き絞る音。放たれる乾いた音。的を射抜く鈍い音。

 

 その音の流れが繰り返される中、ミストは静かにその場を離れ、ガトリーの隣りに腰掛ける。

 先ほどのヨファのように項垂れるミストの肩を、ガトリーはぽんぽんと優しく叩いた。

 

「まあ、シノンさんが厳しいのは、今に始まったことじゃないしさ」

「――厳しいから・・かなあ?」

 彼女の言葉の意味が、今ひとつ理解できないガトリーは首を傾げた。

「どういうことだい」

 

「ヨファが、変わっちゃったと思わない?」

「変わったって、顔つきとか?

 そりゃあシノンさんの訓練受けてるんだから、気を引き締めていかないと」

 

 だがミストは首を横に振った。

 

「ううんそうじゃないの。何かね。ヨファの笑顔が、前とは違うの」

「違うって、何が」
「何か・・笑ってるんだけど、以前より違う感じがして。

 上手く言えないけど、とにかく絶対に違うの!」

 

 思わず上げた声と、的を射抜く音が重なる。

 

「やった!」

 ヨファの歓声が聞こえた。

 

「全部当たった! 当たったよミストちゃん」

 

 視線を向けると、

 その先には、こちらに向かって笑顔を向けるヨファがいる。

 

「あれも・・・変わってる方?」

 ガトリーの問いに暫く間があり、やがてミストは首を横に振った。

「ううん。いつもの・・いつものヨファだ。

 良かったあ・・・。もう見れなくなるかと思っちゃった」

 安堵のため息をつきながら、傍に置いてあった杖を手にし、勢いをつけてミストはヨファの元に向かった。

 

「おめでとうヨファ。やったね! 

 じゃあちょっと休憩しようよ。ずっと射ちっぱなしだったでしょ」

「あ・・えっと」

 ちらりとシノンに視線を向けると「次は20だ」と言い残し、その場を離れた。

 

「疲れたでしょ。まずは手を出して」

 指示に従い、ヨファは手袋を外した。

 弓術用の篭手のように頑丈に作られてあるものの、弦を弾く手の方の擦り傷は特に酷かった。

 

「手袋もボロボロ。これも直さなきゃね」

「ごめんね。ミストちゃん」

 すまなそうな顔をするヨファに、ミストは慌てて片手を振った。

「あ、そういう意味じゃないの。ボロボロになるのは頑張った証拠だもん。

 お兄ちゃんだっていっつも服とか破くしね」

「僕も、アイクさんと同じくらい、頑張ってるかなあ」

 嬉しそうに口にするヨファに、ミストも更に嬉しそうな顔で応えた。

 

「もちろんよ! でも頑張り過ぎちゃ駄目だよ。身体壊しちゃうし。

 オスカーやボーレにも気付かれちゃうからね」

「うん。それは気をつける。

 きっと・・二人はこんなコト、すぐには認めてくれないだろうしね」

 

 上の二人の兄は、今も傭兵団の一員として充分に活躍している。

 対して自分はどうだろう。

 

 長兄のオスカーのように知略に長けている訳でもない。

 次兄のボーレのように、並外れた豪腕を持っている訳でもない。

 

 だから自分に対し、二人はそういう話題を向けてくれたことはなかった。

 自分が幼いからだろうか。それとも実力がないと見なされているからだろうか。

 それを思うと、いつも寂しくなる。

 二人の弟なのに、どうして自分はと、いつも、いつも。

 そんな気持ちが堪りに堪り、気がつくとシノンの部屋に来ていた。

 

 それから毎日、彼の部屋に来ていた。

 

 そして今、自分はこうして、少しでも前向きになれた。

 ミストは心配するが、自分は毎日が嬉しくて堪らない。

 力を身につけ、大切な者を守れる術をやっと身につけるコトが出来るのだ。

 

 その術を教えてくれたシノンに、

 心から応援してくれるガトリーに、

 今もこうして自分の身体を心配してくれるミストに、とても感謝している。

 

 だからいつか、二人の兄にも、認めてもらいたい。

 自分は、あの二人の弟なのだからと。

 

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