『ひと時』3
昼には遅く、夕暮れには早い時刻。今日の訓練が終わった。
ミストは二人に心からの労いの言葉をかけ、そしてふと、シノンに告げた。
「あ、そうだ。
ねえシノン。お願いがあるんだけど」
「何だよ」
「料理教えて」
「はあ?」
あからさまに怪訝な顔をするシノンに、構わずミストは続ける。
「だって料理できるでしょ」
「だからって何で俺なんだよ。オスカーでいいだろうが」
「オスカーは駄目!!」
突然声をあげるミストに、三人の男は同時に面食らった。
「ミストちゃん・・。オスカーお兄ちゃんじゃ嫌なの?」
ヨファの純粋な疑問に、ミストは慌てて取り繕う。
「あ、えっと。その。嫌とかじゃなくてね。
オスカーには他に色々と教えてもらってるから。これ以上は」
「いいんじゃねえの? あいつは世話好きだし」
「と、とにかく。私はシノンがいいの! いいじゃないの別に」
「減るわ」
『減るもんじゃないし』と続けようとしたが、先を見越されたシノンの方が上手だった。
「俺様の貴重な時間が減るだろうがよ」
「何よ! 仕事が無い時は結構ヒマそうにしてるくせに」
「うるせぇなあ。それが人にモノを頼む態度か?」
言い捨て、シノンはその場を離れ、その背を慌ててミストが追いかける。
その後ろをガトリーとヨファは少し間をあけて歩き出した。
二人の背中を見つめ、ヨファが呟く。
「何でオスカーお兄ちゃんじゃ駄目なのかなあ。お兄ちゃんだって料理上手なのに」
「さあなあ。でも女の子は色々と秘密が多いモンだから」
「そういうモンなの」
「そういうモンさ」
背後からミストの懇願の声が何度も届く。
シノンとしては、別にどちらでも良かったが、すぐにきいてやるほどお人よしでもなかった。
その間に、何故オスカーではいけないのか、少し考え、
そしてくるりと後ろを、ミストを見やる。
口角を上げるその笑顔に、ミストはなにやら胸騒ぎを感じた。
「そうだな。オスカーじゃあ駄目だな」
「な・・なによ」
少し歩みを遅らせ、ミストと並ぶ形にし、後ろの二人には聞こえないほど小さな声で断言した。
「オスカーからあいつになに伝わるか、判んねえからなあ」
ミストの驚愕の表情に、シノンは再度己の推理を確信した。
「ちょっ!! な・・な・・何で!?
べ、別にわたしはそんな、ボーレなんて気にして」
「名前は言ってねぇよ」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ! 意地悪っ」
最後に恨みを込めて、ミストは言い捨てた。
若いもんはいいねえ。青春しやがって、とうんざりしながら、シノンはまた歩みを速める。
ミストは自分の後ろを暫く黙ってとぼとぼとついてきていたが、やがてまた言葉を掛けた。
「そういうのを抜きにしても、やっぱりシノンがいい。
それでも、駄目?」
目の前のシノンの肩が少し落ち、暫くした後「いいぞ」と一言告げた。
「本当? やったあ! ありがとうシノン」
はしゃぎながらミストはシノンの隣りに駆けつけた。
「でも何かあっさりしすぎで逆に気味悪いけど、何で?」
「お前は俺を何だと・・・。
まあ考えれてみりゃあ、お前の料理は団長も食べるんじゃねえか。
団長に不味いモン出せるかよ」
ミストはすかさず異議を唱える。
「失礼ね! お父さんにこの前ちょっとは上手くなったなって褒められたもん」
「お前の場合は、不味くもないが美味くないレベルだろうが」
「そんなに文句があるんなら、今日から教えてよね!」
「はあ? 今日から!?」
「いいって言ったじゃない。男に二言はないんでしょ。
じゃあ早く厨房に行こ。今日は野菜が沢山あるからそれ中心でね」
言ってシノンの腕をひっぱりながら、ミストは嬉しそうに言葉を続ける。
それはとても自然な姿で、それが彼女のあるべき姿なのだと、誰がみてもそう思えた。
※
そんな平和なひと時も、確かにあった。
戦争が始まり、グレイル団長が死去したあとでは、それはあまりにも平和すぎるひと時。
新団長の存在をどうして認めることが出来ず、何もかも捨てて傭兵団を後にした自分にとっては、尚更だった。
デイン側についた自分の行動に後悔はしていない。
そして、自分の行動によって起こる、様々な出来事を受け入れる覚悟はしてある。
自分は傭兵だ。関わった相手が時には味方になり、時には敵になるなど、それこそ数え切れぬほど経験している。
かつての仲間と殺し合いになろうとも、心の切り替えは完璧だったはずだった。
はずだった。
涙を流し、震える手で自分に矢を構えるかつての弟子を前にした自分は、一体どれほど隙だらけだったことだろう。
だからあんなガキに隙をつかれ倒された挙句、面白くない説得に応じて、またこの場所に舞い戻ってくることになったのだ。
しかし、もうあの頃とは違う。
「シノン」
ノックされる音とその声に、シノンの思考が中断された。
返答が出せぬまま、シノンはその扉を見つめる。
やがてゆっくり開くと、そこには笑顔のミストがいた。
「シノン。いま大丈夫?」
「元デイン兵に、一体なんの用だ?」
「もう。卑屈になんないでよ。
あのね。今日わたし、料理当番なんだ。だからシノンにも来てほしいの」
「あ?」
「あれから沢山練習したからね。今度こそはシノンに美味しいって言ってもらうんだから」
「・・・お前な」
「だって、戻ってきてくれたもん」
声はいつからか震えだし、より必死さが増した。
「こ、こんな状況だし、不謹慎だって判ってるけど。
でも、皆とはあの頃のように、ずっと付き合っていきたいの。
もう・・・変わっちゃうのは嫌だよ」
顔を下げ、ミストはシノンの言葉を待った。
彼を繋ぎ止める力が、自分にどれほどあるかは判らない。
甘い考えと一蹴されればそれまでだし、シノンの性格ならば、そう言われてもおかしくない。
気がつけば、彼が目の前まで来ていた。
「お前は」
低い、抑揚のない声が、頭上が降り注いでくる。
ミストは思わず唇をかみ締め、覚悟を決めた。
「相変わらずだな」
「・・・・・・・・・・え?」
顔を上げると、無表情のシノンの顔がある。
「ま、良かったよ」
その表情が、少し柔らかくなったのをミストは見た。
様々に湧きあがる感情を持て余し、固まってしまったミストに構わず、シノンは言葉を続ける。
「しっかしなあ。やるのにしても、元デイン兵の俺の料理なんて嫌がるんじゃねえの?」
「だ、大丈夫だよ! シノンは元々はこっちの人って説明済みだから」
「何をさらっと強引に決め付けてんだよお前は」
「いいじゃない。嘘は言っていないもん。
じゃあ早速行こう。他の人も待ってるし」
「げ・・。お前だけじゃねえのかよ」
「当たり前でしょ。もうわたし一人じゃ、回しきれないもの。
それにさっきやるって言ったでしょ。男に二言はないからね」
あの時と同じセリフは、果たして意図的は無意識か。
だがそれよりも、あの頃と変わらぬミストの姿に、救われたのは確かだった。
あとがき
ヨファの弓術訓練時の話。ミストとガトリーは知ってるというか、応援してたと思う。
蒼炎第1章〜第3章は、何て平和なんだろうと後々泣けてきます。
この頃があるから逆に救われるような気もしますが。
グレイル団長が亡くなって、みんながみんな気を引き締めるのに対し、
ミストは変わらず明るくいることで、バランスが保たれるんじゃないかと思います。
さすがグレイル傭兵団一の癒し系。
シノンとミストは歳の離れた兄妹な感じで、このコンビもかなり好きです。
何かシノンさんは押しに弱いんじゃなかろうかという気がしてきた。
あとこの頃から、ヨファはガトリーに女の子は何たるかを教えてもらってそうです。ヨファの将来が心配。
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