『境』8

 

 部屋の扉が、おもむろにノックされる。

「誰だ」

 誰もいない部屋で、上半身だけを起こした状態で、シノンは扉に目を向ける。

 

「ネフェニー・・です。

 今・・大、丈夫・・・・ですか?」

「ああ」

 そっと開かれる扉から、ネフェニーは静かに入ってきた。

 シノンの姿を見て一瞬立ち止まり、扉を閉じた場所から動かなかった。

 

「シノン・・・さん」

 ネフェニーは、ゆっくりと頭を下げた。

「ごめんなさい」

 彼女が顔を上げるのを確認してから、シノンは不機嫌な顔で言い放った。

 

「なに謝ってんだ。お前はよ」

「・・・・・・」

 

「ケガをして動けなくなったことか?」

「・・・・・・」

 

「それで、俺の手を煩わせることになったことか?」

 ネフェニーは何も言わない。ただじっと、シノンの視線から瞳を逸らさずにいた。

 

「俺もケガしてたのに、お前の傷治すために薬を使わせちまったことか?

 そんな状態で敵さんが現れて、お前を庇わなきゃならなくなったことか?」

 徐々に鋭くなる目つきも、だがネフェニーは決して逸らさなかった。

 絶対に、逸らすつもりはなかった。

 

「勝てたはいいが、それで本気で俺がヤバくなってんのに、自分の方の治療を優先にしちまったことか?

 そして、それが原因で俺が寝込む羽目になったことか?」

 シノンの視線が、今までで一番鋭くなった。

 

「そんなくだらないコトを、俺が目が覚めるまで、ずっとぐだぐだ考えていたことか!」

 彼の怒気を風圧のように感じながら、ネフェニーは言葉を返した。

 

「・・・全部・・・です」

 

「・・・・・ばーか」

 先ほどの勢いとは別人のように、シノンは静かに言った。

 

 

「最後以外、謝るところなんて、カケラもねえよ」

 

 

 優しい声だった。

――ああ、シノンさんじゃ――

 くしゃりと顔をゆがめ、ネフェニーはシノンに駆け寄った。

 

 

 シノンは自分よりも背が高い。だからいつも自分は彼を見上げていた。

 だが今日は逆に、自分を見上げる彼の顔を、ネフェニーは大事に、愛惜しむ様に見つめた。

 

「シノンさん・・・。

 目ぇ覚めて・・良かっ・・た・・・。

 嬉しかった・・です」

 あまりにも感激する彼女のテンションとは逆に、シノンは冷静だった。

 

「お前、ずっと俺を看てたんだって?」
「あ・・は・・はい」

「死んでねえし、勝手に目も覚ますって判ってたんなら、放っときゃ良かったのに」

「でも・・」

 

「それに、お前様子が変だったって?

 お前が来るまで他の奴等も来たけど、みんなしてお前のことを言ってたぞ」

 必ずお礼も言えと散々言われたが、それはひとまず置いておくことにした。

 そんな彼の気持ちとは裏腹に、ネフェニーはぎくりと顔を強張らせる。

 

 そこまで自分は酷い状態だったのか。

 結局は余計な心配をかけてしまい、ネフェニーは恥ずかしさと申し訳なさのあまり、顔を赤らめた。

 

「ああ、そういや、今も変だな」

 え? と思わず自分の顔に手をやるネフェニーに、シノンは少し顔を近づける。

「顔が固まってんだよ。

 お前、ずっとそんな調子だったみてぇだな」

「そう・・みたいです」

「お前なあ」

 少し呆れ、シノンは腕組をした。

 

「俺が死んだら、お前はもっと変になっていたのかよ」

「わ・・判りま、せん・・」

 実際、こんな状態に陥ったことも初めてだったのだ。彼が死んでいたら、自分は本当にどうなっていたのだろう。

 そう考えると、ネフェニーは背筋が冷たくなるのを感じた。

 

「俺が死ぬって、考えもしなかったのか」

「・・実際、死にそう・・じゃったけぇ、死ぬかもしれんてことは・・考えてました」

「俺たちは戦争に参加してんだよ。死ぬことだって充分有りえるし、死んでも何もおかしいことはねえ」

「でも・・だからって・・シノンさんに、死んでほしゅうは・・ありま、せん」

「お前がそう思ってても、死んじまうことだってあるんだよ」

「シノンさん!」

 突如あげるネフェニーの声に、シノンは思わず目を見開いた。

 

「っ! ・・シノン、さんは、あの時、死んでも・・良かったん・・か?」

 彼のこれまでの言葉は、ネフェニーにはこう聞こえて仕方が無かった。

 きっと言葉に出すのも辛いのだろう。震える声で言うその問いに、シノンは迷いなくこう答えた。

「ああ」 

 

 無表情で即答するシノンに、今度はネフェニーが目を見開く。

 悲しみに満ちていくネフェニーの顔を、だがシノンは淡々と見つめていた。

 

「少なくとも、お前だけは助けることが出来たんだ。そこまで悔いは残ってなかったな」

「そんな・・勝手じゃ・・」

「ああ、勝手だな」

 息が詰まる。ネフェニーは無意識に、胸元の服を掴んだ。

 

「約束・・したのに」

「ああ、約束したな。一緒に生きて帰ろうって」

 胸に触れる部分から、鼓動が徐々に速まっていくのを感じた。

 

「守る気なんか・・なかったんか・・?」

「あったさ。あったから約束したんだよ」

 

「じゃあなんでそんな、無責任なこと言うんじゃ!!」

 

 激昂と共に、ネフェニーの身体から力が抜けたように、すとんと椅子に落ちていく。

 俯き、唇をかみ締めるネフェニーに、シノンはやはり淡々と言葉を掛けた。

 

「ああ、無責任だな。

 お前やあいつらに、生きてほしいって思われてんのに、そんな気持ちを裏切って踏みにじる。

 死なんてモンはな、無責任極まりないもんなんだよ」

 

 ネフェニーの死角で、シノンもまた、無意識に手を握り締めていた。

 

「俺にだってな、死んでほしくない人がいたんだよ。

 あの人こそ、生きなきゃいけない人だった。

 でも、結局は死んじまった。

 返しきれないほどの恩を、なに一つ受け取ってくれないまま、無責任にな」

 

 顔を上げるその先には、やはり無表情のシノンの顔。

 だがその瞳だけは、彼の気持ちを雄弁に語っていた。

 そしてその気持ちを鏡のように、ネフェニーは己の顔で表した。

 シノンはそれを見て、少し微笑んだ。

 こいつは本当に、どこまでお人よしなんだか。

 

「でも、あの人の死を恨むなんてことはしなかったぜ」

 

 その言葉に、ネフェニーは慌てて弁解した。

「わっ私だって、シノンさんを恨んでる訳じゃ」

 判ってるよと頷き、シノンは言葉を続ける。

 

「いいか。俺たちはな、死ぬ覚悟と、死なれる覚悟も持たなきゃならねえ。

 どんなに嫌がろうが、これは絶対だ」

 こくりとネフェニーは頷く。

 悲しいが、その通りなのだろう。

 だがそんな深刻なネフェニーとは逆に、シノンはにやりと笑った。

「ま、それを踏まえて、なるべく死なねえようにすりゃあいいんだよ」

 

「・・つまり、どういうことじゃ?」

「お互い死なせないようにするこったな」

「・・シノンさんの言葉は、矛盾しとる」

「そうだな。

 でもまあ、それが結局、一番いいだろ?」

 

 実に楽しそうにシノンは笑う。

 それに苦笑しつつも、ネフェニーの顔にようやく笑顔が戻った。

 

 

 まだ心の憂いは晴れなかったが、ネフェニーはあえてそれを残した。

 悲しいが、これはとても必要なことなのだと、無意識に心が悟ったのだ。

 そしてこの人も、そうして生きているのだと、ネフェニーは悲しく思いながら、それでも微笑み続けた。

 

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