『境』3
背後からいくつかの音がする。
振り返る暇もあらばこそ。
転がるようにネフェニーはその場から離れた。
すると瞬時に自分が今しがたいた地面に、深々と大剣が突き刺さる。
目に見える敵は四人。
だがこれで全てではないかもしれない。
剣士、戦士、ソルジャー、ジェネラル、どれも一対一ならなんとかなるも、一度に相手にするのは無謀だった。
だがネフェニーは、更なる恐怖に陥ることとなる。
かすり傷を受けた傷のうずきが止まらない。止まるどころか、徐々に熱と痛みが傷を中心に広がっている。
ただのかすり傷にしては、異様な状態だ。
どくりどくりと心臓の鼓動が耳鳴りのように唸る。
まさか、と心の中で絶望した。
――あの矢に毒が・・――
この多勢に、毒を食らいながら戦わねばならない。ネフェニーは自分の状況を信じられないような思いで実感していった。
毒消しや傷薬を使う余裕など与えてはもらえないだろう。
早く。早く毒を取り除かねば。早くここから離れなければ。
でも逃げられない。ならばこの敵を倒さなければ。早く。早く。早く早く早く早く早く。
剣士の刃が横薙ぎに迫る。ネフェニーは寸前でその攻撃をかわした。
その動作のせいか、毒を受けた傷口が、更に燃えるように熱くなる。
痛みを押さえつけるように、ネフェニーは傷口を庇った。
その隙をついたのか、ソルジャーの槍が一直線に自分に迫ってくる。
これもぎりぎりでかわし、代わりに隙をつこうとするも、毒の痛みに身体が思うように動かない。
左耳に激しい痛みと音が襲い掛かる。
槍は兜の左端に当たり、壊れた破片がこめかみの皮膚を抉り、鮮血がほとばしった。
その勢いに兜の残骸が宙を舞う。
緑の髪が、こめかみから流れる血にへばりついた。
痛みにめまいを起こしそうになりながらも、歯を食いしばりながら気を張り続ける。
ぎりっと歯を噛み締めながら、ネフェニーは頭に上る血を必死に押さえた。
この敵を短時間で片付けるにはどうすればいい。一人ずつ相手にするなどもっての他だ。
ならば一度に相手をするべきか。結局、それしかない。
だがどうやってひき付ける。
霧雨がこめかみの傷に触れるたびに、悲鳴を上げたくなるのを堪えながら、ネフェニーは考えた。
どうする。どうする。今の私がするべきことは。
私の持っているものは、この槍だけ。
私は武器を持っている。
ならば、戦うしかない。
ネフェニーは手に持つ槍を薙ぎ払う。ソルジャーは一旦後退し、入れ替わるように剣士が光る刃を振り上げた。
その振る上げる手に、ネフェニーは槍を突き出し、掌を篭手と共に貫いた。
悲鳴をあげる剣士の手から剣が落ちる。
拾うヒマなど与えず、素早い突きの連続に、剣士は身体の数箇所から血を吹き出しながら倒れた。
一人仕留め、油断したのか、体中に広がる痛みにネフェニーは苦悶の表情を作る。
まだこれからだ。ここで倒れるわけにはいかない。
痛みに強張る身体に、手槍が襲いかかった。
何とかこれをかわし、ネフェニーは手槍の主を睨みつける。
「下手くそが!!」
己の胸を指差し、ネフェニーは吼えた。
「私の心臓はここじゃ! こがぁにちこぉでも、当てらりゃぁせんのか!」
突然のネフェニーの怒声に、ソルジャーは手槍を構えながら固まった。
「後ろの奴も、女一人に見るしかでけんのんか、このでくんぼうが!!」
後ろに控えた戦士とジェネラルが、ネフェニーの声に従うように、それぞれゆっくりと獲物を持ち上げる。
そうだ。一度に片付けるには、挑発し、寄せ付けるしかない。
ネフェニーは絶望に陥りながらも、心の中で少し笑っていた。
ごめんなさい。シノンさん。貴方の真似は、ちぃと難しい。
ネフェニーの滑るような足取りに対し、ジェネラルの動きはまるで砂漠を歩いているように地にめり込んでいる。
それは強力な踏み込みの為だとネフェニーは確信し、勢いを殺して間合いを取った。
めりこみながら進む速さは、自分の速さと変わらない。空間ごと切り裂くかのような斬撃がネフェニーに迫る。
まともに受ければ自分の武器などあっという間に粉砕されてしまうだろう。ネフェニーは必死にそれを受け流した。
重みのある速さに逆らわず、だがほんの少し力を込めながら軌道を逸らす。
その横から、戦士の戦斧が垂直に降ろされる。
体勢を崩さず、ネフェニーは素早く身体を逸らしてその斧から逃れた。
その逸らす動作の正面から、ソルジャーの槍が直撃する。
脇腹の端をえぐられ、うめきながらもネフェニーは決して膝を折らなかった。
だが腰に身につけていた袋に入った薬が、全て粉砕されてしまった。
これで完全に、傷を治すことも、毒を中和することも出来なくなった。
本当に、成すすべもなくなった。
「こがぁなもんか。この三下」
更なる窮地に追い込まれながらも、ネフェニーは挑発を続けることは止めなかった。
あちらは自分が毒を食らっているのは判っているはずだ。今から思えばあの弓兵も、森に誘い込む為の囮だったのかもしれない。
ならばわざと時間をかけられる恐れもある。
しかもこの森の中、応援が来てもすぐには見つけてもらえないだろう。
負け犬の最後の悪あがきと捉えられてもいい。とにかく隙を、油断を作らなければ一掃できない。
ゆらりと背筋を伸ばし、三人の敵を見据え、流血をそのままにネフェニーは微笑む。
「毒で死ぬんを待つ気か? それでも騎士か!? あんたらの持っとるもなぁ飾りか!!」
「――そんなに死に急ぎたいのならば」
鈍色に光るジェネラルの兜から、重低音が響き渡る。
初めてネフェニーは敵の声を聞いた。
その瞬間、自分の目の前にいるのは、やはり人間なのだと再確認した。
今まで何も語らぬ人形と戦っているように思えた感覚が、みるみるうちに消え去っていく。
相手は人間。自分を殺そうとする人間。
人が、人を殺そうとする。
例えようもない恐怖がネフェニーを襲う。だが今は挫ける訳にはいかない。立たなければ。戦わなければ。
死ぬ恐怖も、殺す恐怖も、今は何も、感じてはいけない。
「死ね」
三人の武器が、迷いも無く一斉にネフェニーに襲い掛かった。
一瞬の間。
武器には、なんの感触もなかった。
肉をえぐり、骨を断ち、血に染まることもなかった。
攻撃は全て避けられていた。
だがネフェニーとの間合いは寸分たりとも変わっていない。
大剣、戦斧、槍の攻撃を、間合いを外すことなく太刀筋を見切ることでかわしていたのだ。
三人が三人とも、この現実に驚愕と恐怖を同時に感じた。
それが、三人の最後の感情だった。
喉を、眉間を、心臓を、ネフェニーの槍が正確に貫く。
痛みにあえぎ、のたうつたびに、返り血がネフェニーを染めてゆく。
やがてそれも、次第におさまっていった。
しばらくして、ずるりとネフェニーは重みのある足を動かす。
べしゃ、べしゃ、と血溜まりを踏みしめ、林の外を目指して。
早く・・。
帰ろう・・・。
帰りたい・・・・・・。