『境』2
シノンはあえて森の中を突き進んだ。
木々の狭間からシノンは目標を探し出す。
どれほどの変化も見逃さないほど、その眼光は鋭かった。
彼は魔法を避ける絶対の自信を持っていた。
だがネフェニーが避けられる保障はない。無駄な被害を出さない為にも、シノンはネフェニーを外した。
そんな説明をしてやるほど親切ではないし、そもそもはなから彼女の意見を聞く気はなかった。
今のこの状況では、彼女はもはや邪魔でしかない。
ならばさっさと邪魔だと言えばそれですんだだろうが、言う気にはなれなかった。
自分の奇妙な甘さに苛立ちを感じ始めた頃、天が唸りを上げ、閃光が広がった。
目標の位置がより確実になる。
シノンの口角が、無意識に吊り上っていた。
ネフェニーとシノンは、その素早さをいかされ、遠方の敵の一掃を任されていた。
故に、本陣との合流もかなりの距離を移動しなければならない。
方角ははっきりしている。だが合流するまでに大分かかりそうだ。
背後の様子が心配で堪らなかったが、それこそ今の状況では無意味だと頭から追い払い、ネフェニーは駆けた。
シュッ、という音を耳が拾う。
矢が放たれた音だ。今まで聞き慣れていた音に、ネフェニーは思わず音のした方角に視線を向ける。
小さな、森と呼べるほどでもない林の群れのその前に、一人の弓兵がいるのに気がついた。
ここは先ほど通った場所だ。周りの敵全てを殲滅させながら。
増援かと思ったが、それでも弓兵一人だけとはおかしい。
ならばここまで逃げ延びてきたものの、自分に見つかり、敵意を向けてきたのだろうか。
経緯はどうであれ、殺意を向けられている以上、やらなければならない。
ネフェニーは手槍を構えながら突撃していった。
目の前からならば矢の軌道もはっきりしている。射った瞬間にかわせる自信はあった。
弓兵は距離を保つためか、後退して行く。
森の中にその姿が一瞬消えていくも、ネフェニーはそれを見逃さない。
瞬間、耳をつんざく轟音に襲われた。
自分を狙った訳ではないが、あの遠距離魔法がまた放たれたのだろう。
轟音のせいで、ネフェニーの聴覚は一旦マヒを起こした。
その為、矢を射る音を聞き逃してしまった。
それでも何とかかわすも、左腕をやじりが掠り、一筋の細く赤い線が浮かび上がる。
次の矢を番えるヒマを与えるつもりはない。
うずく傷に構わず、ネフェニーの手槍が、まっすぐ弓兵の心臓を突き刺した。
倒れる弓兵を確認し、ふうとため息をつくと、また背後から閃光が走る。
だが、その光り方の意味を、ネフェニーはその時まだ、把握出来ないでいた。
長弓を構えながら、シノンはまず魔道士の周囲を取り囲む敵を着実に屠っていった。
残るは魔道士一人。
遠距離魔法の欠点は、あまりにも近くでは効果が発揮できないことだ。
弓を持ち替え、シノンは容赦なくその眉間を射抜く。
魔道士はなすすべも無く倒れながらも、その手に最後の魔力をこもらせた。
手から細長い光が蛇のようにのたうつ。
光は瞬時に天に駆け上る。
どんよりと曇る雲一面に、雷の魔力が霧散していった。
――最後の悪あがきか――
そう結論づけるのを、だが長年の傭兵としての勘が否定した。
――違う――
天に向かって放つことに、意味があるのだ。
シノンは思わず、自分の走りぬけた道筋を振り返った。
雨でぬかるむ泥地。うっそうとそびえる、森とも呼べぬ小さな林の群れ。
その中から、何かが現れた。
シノンはそれで、全てを理解した。
光は地上ではなく、天に向けられていた。
空から降り注ぐ光が、戦場の全てを照らし出す。
ネフェニーはその光を見ながら、徐々に背中が冷たくなっていくのを感じた。
――ああ、なんじゃったっけ? 見たことがあるんじゃああいうの。ありゃぁ確か・・・――
そしてネフェニーは、恐怖を口にした。
「・・狼煙」
あの魔道士は囮だ。戦力をひきつけ、固まった所を魔道士が周囲に控えていた増援に合図を送る。
まず最初に狙われるのは、遠距離魔法に警戒し近づけず、廻りに控えている兵士。
ネフェニー。あいつはもう合流できたのか。いやそれはあまりにも早すぎる。ならばまだ一人か。
目の前の敵を射殺しながら、シノンはぎりぎりと奥歯を噛み締めた。
自分たちは周りのやつらよりも離れて行動していた。すぐには合流できないだろう。
増援の数はどれくらいだ。運悪くぶち当たったとして、あいつ一人で持ちこたえられる数なのか。
「一人ですか?」
突如、背後から声がかかった。
振り返る必要ないほど、シノンはその声の主を認識する。
「どうして一人でいるのです。何のために組ませたと思っているんですか」
「・・・うるせぇよ」
ふうとため息が聞こえる。
「まったく貴方は相変わらずですね。何をしても気が咎めることはない。
誰がどうなろうと構わないから」
「黙れ」
「ところで、どちらに行かれるのですか?
敵の将は、あちらですよ」
無機質な声に嘲笑が混じり始める。
シノンはやはり振り向かず、言葉を返した。
「それは将軍様の役目だろうが。
・・お前こそ何でこんなところにいる。アイクぼうやの世話しなくていいのかよ」
「今回の作戦は制圧です。誰が将を仕留めようと関係ありません。
貴方にとっては武勲を上げる絶好の機会なのでは?」
ようやく、シノンは声の主を振りむいた。
黒の魔道士はいつものように、表情を失った顔で自分を見ている。
それに反するように、シノンはにやりと笑った。
「お前にゃ理解できないだろうよ」
シノンの足が、元の道を戻っていく。
残された言葉の余韻に、セネリオの顔がみるみるうちに変わっていった。
他の誰でもなく、シノンに言われたことが、セネリオにとっては最大の屈辱だったのだ。