『境』
眉間と喉に突き刺さる矢と槍。確認する必要もないのか、疾走する二人の速度は変わらない。
二人の通りすぎた後は、赤黒くぬかるむ大地が続いている。
その禍々しさを消し去るように、霧雨が降り注いでいた。
全力で駆けるシノンとネフェニーのように、二人一組となり戦場を駆ける者達は他にもいた。
それでも、この二人の速さは郡を抜いていた。
だが異常な速さではない。普通に訓練を積んでいれば、この程度の動きはまずありえる速度だ。
しかしその前にデイン兵が最も驚愕しているのは、その繰り出される連携だろう。
赤毛の弓兵により引き絞られた矢は、綺麗に首と垂直に交わり、確実に相手の弱部を狙ってくる。
それに気を取られていれば、その後ろからすぐさま手槍が襲い掛かる。
ならばと近づけば、武器を振り仰ぐ間に、鋭い槍の突きが繰り出された。
どれも全て、確実性を極め、急所のみを狙った攻撃だった。
どれほど減ったか、目に映る敵の数を確認しながら、シノンは自問自答する。
一秒でも早く敵を殲滅し、遠くにそびえる砦を征圧するのが今回の作戦だった。
そして、なんの因果か後ろの女と組むことになった。
周りに静けさが含まれてきた頃、シノンはようやく後ろを振り返った。
よし、まだいるな。
まあこれくらいでへばってもらっては困るが。
「武器はまだもつか」
「はい」
普段よりも若干張りのある声で、ネフェニーは答える。息切れのない様子に、シノンは再度正面を向いた。
しかし、とシノンは視線だけを上に向ける。
戦場の天候だけはどうしようもないが、雨で柔らかくなる土壌を駆け抜けるのは骨だった。
この雨のせいで、ただでさえ貴重な体力がじわじわと削られていく。
舌打ちしたい気分であったが、今はその行為による体力の消耗すらも惜しかった。
耳に違和感を感じたのは、その時だった。
シノンは足を止め、咄嗟にネフェニーを後ろに突き飛ばす。
何が起こったのか判らないまま、勢いに任せて仰向きに倒れるネフェニー。
痛みによる悲鳴か、シノンに対する抗議か、しりもちをつきながら口を開こうとしたその瞬間、目の前に閃光が走った。
光の正体は稲光であった。
びりびりとした感触が肌を刺激し、雨により光の熱が蒸発し、独特の青い臭いが鼻につく。
蒸発により辺りには、濃霧と呼べないまでも、霧状の煙が立ち込め始めた。
「・・・・・し、シノンさんっ!」
ネフェニーはあらん限りの声で彼の名を呼んだ。
自分の目の前にはシノンがいたはずだ。そしてこの稲光は、間違いなく自分たちの位置を狙ったもの。
だが自分は彼の行動により直撃を免れたが、最後に見た彼はその場に立っていたはず。
やがて霧が晴れていく。
だがシノンの姿は無い。
黒焦げた死体がなかっただけマシだったが、それでも混乱したネフェニーは立ち上がり、辺りを見回しながら、懸命に名を呼び付けた。
「シノンさん! シノんぐっ!?」
「馬鹿かてめぇは! でけぇ声出すんじゃねえよ。狙われてえのか!!」
一体いつの間に移動したのか、シノンはネフェニーの真後ろから、彼女の口を防いだ。
口を塞がれたままだが、ネフェニーはほっと肩の力を抜いた。
耳元で、詮索するシノンの低い声が響く。
「遠距離魔法の使い手がいやがるな」
「ああその通りだ」
声に、シノンはネフェニーの口を塞いだまま振り返った。
「戦況と指示を伝えに来たが、遅かったようだな」
緩く顔の下半分を布で覆っている為、その男の完全な顔立ちは判別できない。
だが通った鼻筋と、恐ろしいほどの眼光だけでその男の素性を語るには充分だった。
アサシンの気迫を兼ね備えたその男を、シノンは怯むことなく睨みつけた。
「・・・遅すぎだ。黒焦げになるところだったじゃねえか」
「お前たちは最後だ。充分に退ける実力があると判断したからな」
「けっ。手ぇ抜きやがって」
「魔法の使い手は二人だ。一人は他の者が片付けるように指示が出されている。
もう一人は」
もういいとばかりに、シノンは男の言葉を手で制し、もう一方の手をネフェニーの口からようやく離した。
「ネフェニー。お前は戻れ」
「え?」
「組むのはここまでだ。お前は他の奴と合流しろ」
「どう・・して」
「いいから行け! お前に説明してるヒマなんてねえんだよ!!」
言い捨て、シノンは踵を返して走り出した。
「あ・・・」
一瞬、立ち尽くしそうだったが、すぐに気を取り直したネフェニーもまた、シノンと逆の方に振り向き、走り出そうとする。
その前に、ネフェニーはもう一人の人物に恐る恐る声を掛けた。
「あ・・あの、貴方・・・は、どう、するん・・・ですか?」
純粋に心配してくれているのだろう。そんな思いやりなどついぞ忘れてしまったフォルカに、彼女の言葉は非常に滑稽に聞こえた。
「それこそ、言う必要は無い」