『きっかけ』2

 

「あ、ほら。いたいた」

 

 そう言って指を指したその先には。

 宿舎とは離れた森の中にぽっかり開いた一部分。そこに一心不乱に斧を振るう、件の赤き隊長の姿があった。

 まあその前に、ここにくるまで何となく掛け声のようなものを耳にしていたのだが、やはりその主はケビンだった。

 

「すごい・・。こんなに早く。

 よお判りましたね・・・」

 素直に感心するネフェニーとは裏腹に、オスカーは少し自嘲気味に呟いた。

 

「うん。自分でも時々どうかなあとも思うよ」

「は?」

「あ、こっちの話。

 それじゃあ私はこの辺で。彼に見つかるとちょっと大変だから」

「ありがとうございました。助かりました」

 

 お辞儀をするネフェニーに、それじゃあ頑張って、と告げながら、オスカーは去っていった。

 よしと気合込めて、ネフェニーはケビンの元に向かう。

 充分に姿を確認できるほど近づいたところで、振るっていた斧が突然止まった。

 

「ん?」

 

 いきなり顔だけ自分に向けるケビンに、ネフェニーは少し戸惑う。

 そんな彼女の戸惑いに気付いていないのか、いつものようにケビンは張りのある声を掛けた。

 

「おお、ネフェニーか! どうしたそんな所で」

「あ・・あの・・・」

「ん? どうした」

 

 もう少し近づきながら、再度決意を込めるように、ネフェニーは槍を握り直す。

 

「今、お邪魔じゃ、ないですか?」

「いいや。素振り500回もいま終わったところだ」

 

――げにやるんじゃのぉ、この人・・・――

 

「じゃあ・・あの。

 隊長さんに・・お願いが・・あって」

「お願い?」

 

「はい・・もう一度、槍の基礎を学びたくて・・・。み、見てもらいたい・・のですが・・・」

 か細いが聞き取れない声ではない。その言葉を聞いて、ケビンは笑顔で頷いた。

 

「良い心がけだ! それなら俺も喜んで引き受けよう」

「ありがとう・・・ございます。宜しく、お願いします」

 深々と頭を下げながら、ネフェニーは間合いを取るために後退した。

 

 毎度毎度、ケビンのペースにはいつも戸惑ってしまう。

 比較的穏やかな人たちと暮らしていたネフェニーには、彼のようなハキハキとした物言いの人間は少し苦手だった。

 悪い人ではないのは判っている。だが彼は完璧に騎士の見本のような人だ。

 一般市民にとっては、ましてや自分のような田舎者には、騎士とは崇拝と畏怖の感情をどうしても抱いてしまう。

 

 だがこれまでの戦いを生き抜けたのは、この人が戦い方を教えてくれたからだ。

 いわば自分にとって、彼は恩人のようなもの。

 そんな人に、いつまでも恐怖を抱くなど、申し訳なくて堪らなかった。

 

――でも訓練以外で話すことなんてあまりないし、訓練時はどっちかゆぅたら気合を入れんにゃぁいけんし――

 

「さあまずは突きからだ。初め!!」

 その声に条件反射のように、ネフェニーは渾身の突きを繰り出した。

 

 

「よし。そのくらいでいいだろう。基本の方も完璧だ」

「あ・・あり、がとう・・・ございます」

 ハアハアと息を吐きながら、何とか頭を下げるネフェニー。

 

「そこで座って少し休んでいるといい」

 言いながら、ケビンは暫しその場を離れ、また戻ってきたとき、その手には細長い水筒があった。

 差し出され、ネフェニーは恐縮した。

 

「す! すみません・・わざわざ」

「なに、労うのもクリミア騎士の務めだ!」

 

 なんだかよく判らないが、ここは有り難く頂いておいた。

 冷たい水を一口口にすると、緊張に強張った身体が和らいでいく。

 ようやく落ち着いたネフェニーを見て、改めてケビンは口を開いた。

 

「腕を上げたな、ネフェニー。教えがいがあるとはこのことだ。

 この調子で常に基本を忘れず精進すれば、まず大丈夫」

「ありがとうございます」

「そういえば、次の戦場に出るのだったな」

「はい・・ですから、もう一度槍の戦い方を、学ぼうと。

 すみません。何度も」

 

「いいや。実にいい姿勢だ! 基礎を改めれば、まだまだ新たに学ぶべきことが沢山見えてくるものだ。

 実際、俺もネフェニーと共に改めて基礎を復習し、目の覚めることも多い」

「そう・・なんですか?」

「ああ。だからこれからも、訓練の相手がほしいのならば、いつでも来るといい」

 絵に描いたように爽やかに笑うケビンに、ネフェニーはぎこちなく頭を下げた。

「はい・・じゃあ、宜しく、おねがいします」

 

 本当にいい人だ。面倒見もよいし、頼みごとだっていつでも嫌な顔一つせず引き受けてくれる。

 声の大きさに気圧されてしまうが、以前より抱いていた恐怖心が、今日は薄らいでいることに、ネフェニーは気付いた。

 

――もしかして、シノンさんでちぃと耐性がついたんじゃろうか――

 

 あちらは怒鳴り声だが、こちらはただ声が大きいだけで、その言葉一つ一つはとても温かい。

 まだこちらの方が、リラックスして聞ける余裕が出てきた。

 

――ああ、本当にそうかもしれん――

 

 こんなところで、またあの人に助けられるなんて。

 くすりと笑うネフェニーの笑顔はあまりにも小さく、ケビンでは気付けなかった。

 

 

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