『きっかけ』
簡素な木の椅子に座り、ネフェニーはあの模擬戦の時を振り返った。
シノンと共に組み、ボーレと戦ったあの模擬戦。
自分の動き、判断をじっくりと思い出す。
そしてその都度自信を失くしそうな自分を、何度も何度も無理やり奮い立たせた。
そもそも斧使いのボーレに真正面に向かうのが間違っていたのかもしれない。槍には槍の戦い方があるはず。
だが所詮、戦術知識など皆無に等しい自分には、それがどういうものかは判らない。
やはり一人では限界がある。
ネフェニーは立ち上がり、兜を被り、槍を手にした。
訓練に最適な広さを持つ場所には限りがある。
だが一つ一つ探すのは大変だった。
――今日はドコにいるんじゃろう。その前に、いま大丈夫なんじゃろうか――
人目を避けながらとぼとぼと歩いていると、向こうから見知った顔が歩いてくる。
――オスカーさん。
彼の弟のヨファとなら、大分話せるようになってきたが、彼自身とはあまり話したことがない。
しかし彼にいま会えたのは、逆に好機だった。
――オスカーさんなら、知っとるかもしれん。なんか、知り合いっぽいようじゃし――
ネフェニーは勇気を奮い立たせて深呼吸をした。
「やあネフェニーさん」
しかし先に気付かれてしまい、反対に呼吸が止まってしまった。
「あ、ごめんね。びっくりさせて」
呼吸を正常な状態に戻しながら、ネフェニーは恐る恐るオスカーに向き直った。
「あ・・あの、オスカーさん・・」
「ん? なんだい」
終始笑みを絶やさず、ゆっくりとオスカーは喋る。
その穏やかな雰囲気に、ネフェニーの高鳴る鼓動が少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「あの・・隊長さん、見ませんでしたか?」
「――隊長さん?
ああ、ケビンのことか」
ぽんと手を打ち、オスカーは納得した
現在の彼の肩書きはクリミア王国王宮騎士5番小隊隊長。
戦い方を教えてもらっているネフェニーやチャップが、よく隊長さんと呼んでいるのをオスカーは思い出した。
「・・はい。探してるんですが・・なかなか、見つからなくて」
「私も見かけなかったが、良かったら一緒に探そうか?」
「いえあのっ!・・・ご迷惑では」
「大丈夫。心配しなくていいよ。今は時間があるから。
それに私の方が彼を探すのは上手いと思うよ。聞き慣れているからね」
「聞き慣れて・・・?」
小首を傾げるネフェニーに、オスカーは更に微笑んだ。
※
並びながら歩いていると、ふとオスカーが振り返ってきた。
「そういえば、お礼がまだだったね」
「・・礼?」
「ヨファがいつも世話になってしまって。
何か迷惑をかけていないかな」
「い、いいえ・・・。
ヨファくんは良い子じゃし・・・話しとると、とても楽しいです」
「そうか。ありがとう」
どうやらヨファは、かなり彼女と仲が良いらしい。
あの子の話になると、自然と彼女の口調が戻っているのがいい証拠だ。
ネフェニーとこうして二人きりで話すのは初めてだった。
挨拶程度なら交わしたことがあるが、それ以降話すきっかけも探せず、しかも彼女はあまり人前に出ない。
そうこうしている内にいつの間にかヨファが懐き始め、そしてどういう縁かシノンと組むこととなった。
予想外の展開だが、これはこれできっかけかと思い直し、オスカーはなるべく自然な会話を試みた。
もとより人に合わせるのは得意な方だ。
彼女のささいな反応を逐一観察し、ゆっくりとだが、オスカーはネフェニーのペースを掴み、徐々に警戒心を解いていった。
しかしまだ、兜から覗く口元は、ぎこちない。
その代わりのように、オスカーは微笑み続けた。
「それと、シノンのコトだけど」
瞬間、ネフェニーの顔が強張った。
これはまずかったかなと、己の失言を心の中で叱責しながらも、笑顔は崩さない。
「シノンさんの・・コト、ですか?」
「ああ、シノンはああいう性格だから、君と組む時と知った時、心配してたんだ」
「・・・・・」
「厳しいし言葉もキツいから、嫌な奴に見えるかもしれないけど、でも誤解だけはしないでほしいんだ」
ネフェニーにまず、何より言いたかったコトを、オスカーは口にした。
彼の性格を初見から把握するのは難しいし、更にわざわざ最悪な方に見せたがる。
しかもそのまま誤解を解こうともしないので、大抵の人間は、まず彼に良い印象を持たないだろう。
ネフェニーはこんな性格だ。尚更敏感に感じ取ってしまったのではないだろうかと、オスカーは危惧していた。
そんな彼女の口元が、ほんの少し形を変えた。
「大丈夫・・です。そんな風に、思うてません。
それに、本当に嫌な人なら・・・ヨファくんみたいな子が、あんなに・・懐かんと思います」
「――ああ」
これはやられた。
ネフェニーの微笑みに釣られるように、オスカーの笑みが、形作られたものではなく、本当の笑みに変わった。
「ありがとう」
彼女こそが、なかなか良いきっかけのようだ。
このきっかけを境に、シノンは変わってゆくのかもしれない。
人の縁とは本当に面白い。オスカーは改めて、そう思った。