『試戦』3
地面の上を滑るように、左足を前に出すと、ネフェニーの身体が中腰になった。
右手でしっかりと柄を握るのに対し、左手はただ柄に添えるだけ。
槍の穂先はまっすぐボーレのハチガネに向かっている。
その固まった姿勢の中で、ネフェニーは力を貯めていった。
その彼女の構えを眺めながら、オスカーは思わず呟いた。
「綺麗な姿勢だな」
「クリミア流か。模範的だな」
ガトリーも賛同し、言葉を繋ぐ。
その隣で、ミストは疑問を口にした。
「あれはクリミア流の構えなの?」
その問いに、オスカーは笑顔で頷いた。
「そうだよ。短期間で実戦向けになれるよう、まずは基本を徹底的に叩き込まれたんだろうな」
「へえ。でも誰が?」
「やだなあミスト。ここには立派なクリミア騎士様がいらっしゃるじゃないか」
おどけた口調で言うオスカーに、ミストはようやく理解した。
『槍の基本は突く! 薙ぐ!
これらの動作を乱れなく制することがもっとも重要である!』
――はい。隊長――
自分に槍術を仕込んでくれた、クリミア騎士である小隊長の言葉を、ネフェニーは実戦で常に反芻していた。
ネフェニーの槍が突かれる。
毎日毎日、休み無く続いた鍛錬の賜物か、その速度はなかなかのものであった。
点に見えた穂先があっという間に大きさを増し、ボーレの脇を通り過ぎる。
突きも然ることながら、引き戻しの早さにもボーレは驚きを隠せなかった。
槍と斧ではその間合いの差が確実に存在する。
幸いネフェニーの方から向かってくる距離も考えて、彼女との間合いを詰める為には、最低でも後一度交わせばいい。
再度ネフェニーの突きが向かう。鋭い突きだが交わせないほどではない。
ボーレは身体を沈めながら、その突きを交わした。
間合いに入ればこちらのものだ。握る柄を手首ごと捻り、ネフェニーのアーマーに迫る。
首筋がぞくりしたのはその時だった。
慌てて身を翻したその直後、一本の矢が身体を掠めた。
舌打ちと共にボーレは矢が放たれた先に視線を送る。
そこには想像通り、にやにやと嫌味な笑いを湛えながら、弓を構えるシノンがいた。
「安心しろ。顔や首は狙わねえからよ」
「そんな気遣い無駄だぜ。まず当たらねえから」
「ばーか。俺様が当てたらすぐに決着がつくだろうが。当たらないようにしてやってんだ。有り難く思いな」
この戦闘はあくまで彼女がボーレにトドメをさすことだ。自分はその補佐でしかない。
二人の会話に少し戸惑いながらも、ネフェニーは間合いを取り、再度構えに入った。
一方ボーレはシノンに気を取られ、ネフェニーの存在を一瞬だが忘れかけてしまった。
必然的に隙が出来た。
ネフェニーはその隙を見逃さなかった。槍がその隙を貫く。
模擬用の細槍だが、突けばそれなりにダメージはある。脇腹をモロに突かれ、ボーレは思わず後退した。
突かれた脇腹は、まるでねじれたように痛みを感じた。
『突きの速さも重要だが、捻りながら突かねば簡単に相手に捕まえられてしまうぞ!』
そう言って実際に見せた隊長の突きを、ネフェニーは昨日のように思い出した。
判りやすく足の長い草原に向かって突かれた一撃は、まるで竜巻のごとく周囲の草を巻き込みながら回転してゆく。
あまりの衝撃に、ネフェニーは素直に感動してしまった。
捻りながら突けばその分速さが落ちてしまう。その速さを保つのも一苦労だった。
ネフェニーはそれを集中的に特訓することにした。
防戦的だったボーレの動きが、急に勢いを増したのをネフェニーは感じた。
振るわれる斧もまた、かなりの速さをもってネフェニーに襲い掛かる。
もともと武器の性質上、槍は斧に弱い。
しかもこんな細槍では、簡単にへし折られてしまう。
武器と己を庇いつつ、ネフェニーは出来る限りの間に突きを繰り出した。
その合間にも、シノンの矢が確実に、ボーレの死角を狙って飛んでくる。
その気になれば腕や足の筋に食らわし、戦力を殺ぐ方法も出来るだろうが、シノンはあえてボーレの隙を作ることに専念した。
ネフェニーの実力を把握する為には、自分は最小限のフォローに徹するべきだ。
だがボーレがそんな彼の心情など汲み取ることなど不可能だった。
シノンの矢を警戒しつつ、ネフェニーの槍を交わし、間合いに入る。
しかしネフェニーもある程度慣れて来たのか、シノンの矢によって生まれる隙を決して逃さない。
それどころか、ネフェニーの動きに合わせて矢が繰り出されることもある。
ボーレとしては、かなりやっかいな連携であった。
※
「なんかさ」
ぽつりと何気なく、ミストは口にした。
「息、あってるよね。あの二人」
「うん! すっごいね。ネフェニーさん」
二人の子供が無邪気に言い合う中、オスカーとガトリーはちらりと互いを見た。
合っているというより、シノンが合わせているのだろう。
だがそれを差し引いても、ネフェニーはシノンの予想通りに動いている。
時折、シノンの矢の軌道をサポートするように動くこともある。
それは実戦経験で、ある程度身につけることは可能だが、彼女はほぼ初めてでそれを成し遂げていた。
戦闘で必要な勘を、彼女は生まれつき持っているようだ。
これは意外な逸材だと、二人はネフェニーの動きを目で追った。
そしてふと、同時にシノンも見た。
心なしか、楽しそうな顔をしていた。