すれ違い5
「おかーさん。またお仕事?」
自分の足にすがりつく愛娘に、18号は微笑みながら返事をした。
「お仕事というか、お姉ちゃんに稽古をつけにいくんだよ」
「じゃあマーロンも行くー。連れてってー」
「ダメダメ。遊んでいるんじゃないんだよ。邪魔しちゃダメだ」
「うー」
むくれるマーロンの頭を撫でながら、「じゃあお姉ちゃんに頼んでやるから。待ってな」
「ホント?」
判りやすく輝く娘の顔に、思わず18号も微笑んだ。
「ああ」
「じゃあね。じゃあね。おみやげ持ってくね」
「土産?」
「何も持っていかないと、しつれーなんだよねー」
怪訝な顔の18号は、反してにこにこと微笑む娘の言葉に訊ねる。
「・・誰がそんなコト言ったんだい?」
「おとーさん!」
「・・ふうん。あっそう」
手ぶらで、しかも脅迫まがいで大金をふんだくったわたしに対する嫌味かともとれたが、礼儀を習うのは大切なことだ。
あえてここは追求せず、じゃあ行ってくるねとマーロンの額にキスをして、18号は飛び立っていった。
母親の姿が見えなくなるまで手を振り続け、くるりとマーロンは台所に向かった。そこに父がいるはずだった。
「おとーさん!」
「ん? マーロン。お母さんもう行ったのか?」
予想通りにいた父に、マーロンは飛びついた。
「うん。あのね、おとーさん。一緒におみやげ作ろ!」
「土産?」
唐突な娘の言葉にさらに詳しい事情を聞くと、クリリンは破顔した。
「そっかそっか。そうだな。色んな意味で一度は挨拶に行かなきゃと思っていたし丁度いいか。
じゃあ何を作ろうか?」
「お菓子がいいー」
「お前が食べたいだけだろう」
「違うもん。この前作ったお菓子美味しかったから、お姉ちゃんにも食べてほしいだけだもん!」
むくれる娘に、悪い悪いと宥めながら、クリリンは何を作るのか再度訊ねた。
その問いにはしゃぎながらマーロンは答える。
「あー、アレか。お母さんも美味しいって言ってたもんな。
じゃあそれにしようか」
「うん!」
ご機嫌で用意に向かうマーロン見て、クリリンは改めて娘を持った幸運に感謝した。
「あ、マーロン。量は多めに作ろうな」
「何で?」
ボールを両手で持ちながら小首を傾げる愛娘に、クリリンは意味深に笑って言った。
「お裾分け様だよ」
※
ビーデルの上下する肩の動きが激しくなったのを見て、18号は片手をあげた。
「休憩しよう」
「まだいけます」
「やだね。わたしがしたいんだよ」
そう言って、近くの壁に寄りかかり、ふうと一つため息をついた。
仕方なくビーデルも一度大きく深呼吸をしてから、同じく壁に寄りかかる。
「ムキになるな」
唐突に言われたその言葉に、ビーデルはすぐに反応できなかった。
「別に、ムキになんかなってません」
「普段の相手じゃないから、ストレスでも溜まったんじゃないのか?」
具体的な言葉は伏せられているのが返って気に食わなかったのか、ビーデルの様子に少し苛立ちが混じった。
「悟飯くんとだってストレス溜まってましたよ。全然本気になってくれないし」
言いながら、無意識にビーデルの視線が横に揺れた。
「・・あっちだって、私相手じゃストレスが溜まる一方だったんでしょう」
だからもう嫌になってしまったのだろうか。
確かに自分は彼の友人たちのように強くはない。
しかし、そもそも彼の友人の方が異常なのだ。あれは鍛える云々の話しではないような気がする。
それに対して、引け目を感じなかったと言えば嘘になる。
それでも、
「それでも、私は嫌じゃなかったのに」
だから頑張った。
彼の世界に居られるよう、毎日毎日訓練を積んでいた。
気をコントロールする訓練もかかさず、舞空術も時間を作ってはより早く、より遠くに行けるように練習していた。
だが自分の日々の努力とは裏腹に、彼の態度が日に日に遠のいていった。
普通に会話はしているものの、最初の頃の、いや、それ以上のよそよそしさも現れ始めた。
その理由を聞いても、はっきりとした答えは返ってくることはない。
壁に寄りかかっていた背中がずるずるとゆっくり落ちていき、無機質の床に音も無く座った。
冷たい床に置いた掌が、力なく握られる。
「貴女はどうですか?」
顔を向けずに、ビーデルは訊ねる。
「何が?」
「私と組み手をして、正直どうですか?」
「ああそうだな。正直まだるっこしいな」
本当に正直に言っているせいか、ビーデルはさほど嫌な気分はしなかった。
「でも、それこそ人それぞれだしね。
もしわたしと悟飯が組み手をすれば、悟飯こそがこんな気持ちになると思うよ」
ビーデルは目を見開いて驚いた。
これほど強い彼女を前にしても、悟飯はまだ余裕なのだ。
それほど自分は悟飯の実力を、はっきりと認識していないということだ。
彼はどれほど強いのか。
そして、これからどれほど強くなっていくのか。
追いつけない。
追いつけるはずが無い。
やはり私は、彼とは異質なのだ。
「悟飯くんは・・・そんなに強いんですね。
なら、私としても尚更か」
ビーデルは立ち上がった。
「すみません。お茶もお出ししなくて。
今すぐご用意しますから、暫く待っていて下さい」
一礼して、ビーデルはくるりと踵を返して部屋を出て行った。
その表情はさっぱりしていたが、それは明らかに諦観の表情だった。
ビーデルの歯切れの悪い言葉を組み合わせてみると、
どうやら現在の二人の空気はかなり悪いようだ。
しかも悟飯の方から関係が絶っているかのようで、それが18号には引っかかった。
彼も自分の夫と似たり寄ったりなお人よしで、自ら望んで人を傷つけるような性格ではない。
以前見た二人の雰囲気は、決して悪いようには見えなかった。
悟飯が彼女を嫌うと思えない。
だが現に彼は、ビーデルを避けている。
何故だ。
(まあこういうのは、本人に聞くのが一番てっとり早いんだがな)
だがビーデルの話では、その本人の口は堅そうだ。
(それに、あまりわたしが関わるのもな)
自分のやるべきことは、ビーデルを鍛えることだ。それ以外のことを彼女は望んではいない。
「18号さん」
視界の端で動くビーデルの呼びかけに、答えて18号は立ち上がった。