すれ違い6
呼び鈴を鳴らしてしばし待つと、おもむろに扉が開かれた。
その扉の向こうの人物に、クリリンは思わず目を見開く。
目の前のその人物に言葉を掛けるのも忘れるほど、クリリンにとっては驚愕の出来事だったのだ。
(何で家主がわざわざ出迎えるんだ?)
あの傲岸不遜という言葉を欲しいままにした世界一のチャンピオンたるこの男が、わざわざ客を出迎えるなど有り得ない。
しかも・・・。
「あの」
一言発したと同時に、目の前のチャンピオンはびくりと肩を震わした。
――ああ、きっと以前、18号にてっぴどくやられたんだろうなあ。
それはとても良く判るんだが、何で俺まで怯えられてんだ?――
固まった表情をすこし緩めながら、クリリンは深々と頭を下げた。
「ええっと、突然の来訪で申し訳ありません。いつも妻がお世話になっております。
本日こちらのお嬢さんに娘が呼ばれたもので」
なるべく刺激しないよう細心の注意を声に乗せるその横では、
「うわー! ちゃんぴおんだ!! すごいすごいすごいー」
これ以上ないほどの無邪気な声で、マーロンは輝かしい笑顔でそう叫んだ。
それに少し気を良くしたのか、家主、もといMr.サタンはようやく姿勢を正した。
「あ・・あ、ああ。今日はお嬢ちゃん」
「こんにちはー。
ビーデルお姉ちゃんとお母さんいますか?」
「ああ、あちらの突き当たりの部屋だ。上がりなさい」
「お邪魔しまーす!」
靴を脱いできちんと揃え、一礼してマーロンは駆けて行った。
――ああ良かった。素直な子に育てておいて――
己の育て方に満足し、少し空気が良くなったのを見越して、クリリンは両手を差し上げる。
そこには芥子色の風呂敷に包まれた重箱があった。
この家を訪れ、この人物と接する以上、何かは言われるだろうとは予測していた。
ならば先手を打って、こちらから最低限の礼儀を見せれば、幾らなんでもおいそれと邪険には出来ないだろう。
「つまらないモノですが、どうぞ」
娘の純粋な思いとは裏腹に、腹の中でそういう姑息な計算を入れながら、クリリンは笑顔で手渡した。
「ああ、こりゃどうも」
だが予想外に気さくに受け取るチャンピオンに、クリリンは思わず拍子抜けしてしまった。
普通にしてれば普通に良い人なんじゃなかろうかとクリリンが改めて思ったその時、
振り向き、空を仰ぎ見た。
―― あ、来る――
そう判断したクリリンは、その場を少し離れた。
クリリンの行動が理解出来ないMr.サタンは、訝しげな視線を送っていると、
それは突然降ってきた。
文字通り、空から降ってきたのだ。
トンと軽い音を立てて降り立ったその人物に、サタンの顔がより一層険しくなった。
「何の用だ」
突き放した声に、その人物、悟飯は礼儀正しく頭を下げた。
「今日は。ビーデルさんはご在宅でしょうか?」
「質問にだけ答えろ」
威圧的な家主の態度に、少し気後れしながら悟飯は答えた。
「ビーデルさんに会いにきたんです」
「約束は?」
「・・・・いえ、していません」
「約束も取り付けずいきなり女性の家を訪れるとは。
礼儀知らずにもほどがあると思わんのか? 君は」
――おお、あの親父にしちゃまともな意見だ――
気配を完全に消して陰で見守りながら、かなり失礼な感想をクリリンは心の中で呟いた。
一方反論の余地も無く、謝罪の言葉を述べて悟飯は去っていった。
気配が遠のいたのを機に、クリリンは再びサタンの前に姿を現した。
「手厳しいですねぇ」
何気なく言った言葉に、サタンはちらりと一瞥してから、家の中に入っていく。
失言だったかなと思い、一応非礼を詫びようとしたが、それは当のサタンによって遮られた。
「あんたも、あんな可愛い娘さんがいるなら、判るだろう」
「・・・?」
「自分の大切な娘が、どこの馬の骨とも知れん男に目をつけられて、黙ってみていられるものか」
忌々しく吐き捨てるように言ったその言葉に、クリリンはやれやれと気付かれないよう苦笑した。
ビーデルと悟飯が付き合うことに、当然のようにこの父親は良い感情を持ってはいないのだろう。
ちらりと背中越しに自分を見る目は、どこか疲れの混じった濁りをおびていた。
「あんたはビーデルから何か聞いていないのか」
「は?」
「・・・・・・・いや、何も知らないのならいい。忘れてくれ」
視線を再び前方に戻す仕草も、どこか緩慢であった。
親の苦悩が子に表れるように、子供の苦悩は、そのまま親にも影響する。
今回の件をビーデルが自らこの父親に説明しているとは思えない。
つまり父親は父親で、薄々と娘の苦悩の原因に気付いていたようだ。
これにはクリリンは特に驚きはしなかった。
娘を持つ父親ならば、娘の変化に敏感になるのも当然だろう。
・・でもこの人と共感するのも、何か複雑だな。
どこまで会話が成り立つか判らないが、ひとまずこの人物を落ち着かせることから始めることにした。
「こちらも何も知りませんが、あくまでお嬢さんの問題なのですから、そちらがそこまで気に病まなくても」
「自分の娘が同じ目にあって、同じことが言えるか!?」
突如激昂するチャンピオンに、だがクリリンはさらりと言った。
「良いことも悪いことも、それはその人が生んだ結果ですから」
あまりにもさらりと言われたその一言に腹が立ったのか、更に怒声が上がる。
「助けてもやらないのかっ!?」
「親が出来ることなんてたかがしれていますよ。それに・・・。
少なくとも自分の娘には、どんな結果でも受け入れ、解決していけるようにと育てていますから」
「それはただの放任と一緒だ! あんたは娘が可愛くないのか!? 泣いている姿をみて悲しくないのか。
そんな風に悲しませた元凶を、憎いとは思わないのか!!」
相手が興奮状態であればあるほど、人は冷静になれるものだ。
勢い、胸倉を掴み、捲くし立てるMr.サタンとは正反対に、クリリンはどこまでも冷静だった。
「そりゃ憎いし恨みもします。でもそれはあくまで貴方や俺の感情だ。
そんなもんを娘に押し付ける気はありません」
するりとその手から逃れ、襟元を正しながら、クリリンは家の中の気配を感じた。
あちらが感づいたにしては、結構時間がかかったものだ。
ゆっくりと動く気配を感じ取りながら、クリリンは改めてMr.サタンを見やる。
「今回のことは本当に何も知らないんですが、どうやら悟飯は何かしでかしてしまったらしいですね。
でもこんな時に言うのもなんですが、悟飯は良い奴ですよ。
まず間違っても、自ら進んで人を傷つけるような人間じゃあない。
貴方のお嬢さんは見る目があると思います。
どうか、娘さんを信じて下さい」
靴が廊下を鳴らす音が、ようやく耳に届いてきた。
「きっ・・・。
貴様に言われなくても! わしはいつだってビーデルを信じとるわいっ!!」
「ああそうですか。それは結構」
言っていつもの笑顔に戻ったクリリンは、Mr.の肩越しに向かってひらひらと手を振った。
何事かと後ろを振り返ると、そこには件の娘と因縁の女性が立っていた。
まずクリリンが一礼した。
「今日は。18号に酷いことされてない?」
「いきなりそんなこと聞くんじゃないよ」
「一番に確認しなきゃいけない事だろー」
そんな夫婦のやり取りの間で、ビーデルも習って一礼する。
「あ・・こ、今日は。こちらこそお世話になってます」
そして、おずおずと父に視線を移した。
「パパ・・・あの、今、悟飯くんが来なかった?」
「ああ。だがすぐに帰った」
「帰っ・・・た」
思わず外に飛び出しそうになるも、だがそれも一瞬のことだった。
激しい感情が押さえ込まれていくように感じたが、それは全く真逆であった。
あまりにも激しい感情は限界を超え、全く別なものへと感じ取っている。
自分がいま何を感じているのか、ビーデルはゆっくりと理解していった。
ああ、自分はいま、とてつもなく激怒しているのだ。
あまりの悲しみと辛さが、ついに怒りに変貌してしまったのだ。
かつて感じたこともないほどの怒りの為、どうやらそれが怒りだとは判らなかったらしい。
悟飯の考えを理解出来ないのが悔しい。
彼に対してこんな感情を抱くのが悲しい。
隣で18号が自分を揺さぶっているのを、目の前で父が心配そうに見つめているのを、
いまの自分は、全く別の遠い場所から見ているような気分になった。
だがそれもまた、ほんの一瞬のこと。
すぐに心は一つにまとまり、やがてビーデルは踵を返した。
「おい! 追いかけないのか!?」
初め、その言葉は18号が言ったのだと思っていた。
しかし自分の耳が記憶したのは、父の音声であった。
あんなに毛嫌いしていたのに。
しかしそれが父の優しさの現れなのだと知って、ビーデルには妙に可笑しく思えた。
だか、家の中に向かう足は止まらない。
「お姉ちゃん」
その小さな声に、足が止まった。
マーロンだった。
「お姉ちゃん。ごはんお兄ちゃんとケンカしちゃったの?」
「あ・・」
「ごはんお兄ちゃんのコト、もうきらいになっちゃったの?」
首を横に振ったのは、半ば無意識に近かった。
「じゃあ仲なおりしなきゃダメだよ」
仲直り・・・?
これが本当のケンカなら、すぐにでもそうしている。
でも、これはケンカではないのだ。
ケンカではない以上、一体どうすれば元に戻れるのか。
言葉を返せないビーデルを暫く見つめ、やがてマーロンはその横をとてとてと駆け抜けた。
ん? とこちらに走り寄る娘に、クリリンはしゃがんで迎える。
娘は無言で何かを訴えていた。
それも当の昔に得心済みのクリリンは、18号を一度見つめる。
マーロンと同じ意味を含むその瞳で、彼女もこちらを見つめていた。
「ああすみません。来て早々に失礼ですが。
寄らなければならない所がありますので、今日はこれで失礼致します」
言いながら一礼し、クリリンはマーロンを抱えて飛び去って行った。
その姿が消え去る前に踵を返して、18号は家の奥に向かって歩いていく。
「それじゃあビーデル。訓練の続きといこうか」
18号の後をビーデルは慌てて追った。
「え・・あ・・あの。マーロンちゃんは良かったんですか?」
「そんな顔で相手されても困るね」
「・・・・・すみません」
「それに今日は色々と寄る所があるみたいだからね。作りすぎたようだから」
ふと足を止め、18号はそっとビーデルにしか聞こえないほどの小声で囁いた。
「知り合いのトコに持っていくってさ。ここからだと孫悟空の家が近いかな」
その言葉に思わず振り向いたが、18号はいつの間にか、自分の前を歩いていた。