すれ違い
もうこの人しかいない。彼女にはそう思えた。
靴越しに伝わる砂浜の感触を確認しながら、ゆっくりとその家の扉を開けようとして、
だが、先を越されてしまった。
「あ! ビーデルお姉ちゃん!!」
開かれた扉の向こうから、深い海の色をした大きな瞳で、
その少女は天上の太陽にも負けないくらいの輝く笑顔で自分を出迎えてくれた。
それに釣られるように、いや、本当の笑顔でビーデルもそれに答える。
「こんにちは。マーロンちゃん」
「ビーデル?」
少女の背後に、一体いつの間にいたのか、18号が片手を腰に当てて自分を見つめている。
挨拶をするも、彼女の視線はやがて、自分の後ろや周りに注がれていった。
ビーデルには初め、その意図が判らなかった。
「悟飯は?」
「は?」
「一人なのか?」
「何で悟飯くんが・・・」
「ああ、別に。何となく」
そんなつもりはないのだが、周りの人間からはそんなに終始べったりしていると見られていたのだろか。
現に目の前の少女も「悟飯お兄ちゃん、一緒じゃないの?」と小首を傾げて訊ねてくる。
「今日は私一人なの。ごめんね」
「ううん。来てくれてすっごく嬉しい!」
「ありがとう」
喜ぶ少女の頭を優しく撫でていると、家の奥からクリリンも現れた。
「おや。いらっしゃい・・・・・あれ?」
「悟飯くんならいませんよ」
毎度毎度言われるのも嫌なので、先に釘を打っておいた。
「一人で? 一体どうしたの?」
18号はともかく、どうやら彼の質問はあくまで純粋な質問の様だ。
悟飯ならここに来るのに特に理由はいらないが、自分はまだ彼らとそれほど親しくはない。
娘のマーロンとは仲良くなったものの、それでもまだ理由としては強くない。
そんな人間が突然やってきたのだ。何の用だと疑問に思うのも当然だろう。
ビーデルはさっさと自分の用件を伝えることにした。
「18号さんに用事があって」
「わたしに? 何の用だい。アレなら返さないよ」
アレとは多分、ビーデルの家からふんだくった大金のことだろう。
流石に彼女も子供の前で、そんな生々しい言葉を使うつもりはないようだ。
「いいんですよ。アレは父の自己負担ですから、こちらは全く気にしていません」
にっこりと微笑む声は、とてつもない凄みを帯びていた。
なにやら妙な雰囲気になって来たなと感づいたクリリンは、とりあえず二人を家の中に入れた。
テーブルを挟んで向かい合う女性二人に、何を飲むか訊ねた。
「そうだな。とりあえずわたしの心が終始落ち着けるようなものがいいかな」
視線をビーデルから逸らさずに、18号は貼り付けた笑顔で淡々と語る。
「お姉ちゃんは何がいい?」
ビーデルの隣で無邪気にマーロンが聞いてきた。
「何でもあるよ。黒いのとー。紅いのとー。緑のとー」
黒はコーヒー、紅は紅茶と言っているのだろうか。だが最後の緑は一体何なのだろう。
「緑?」
「えっとね、ま・・・、
あれ? 何だっけ?」
「もしかして、抹茶?」
娘の後ろでクリリンがぽつりと口にした。
「あ、そうだ! まっちゃ!」
「あ・・じゃあ、それで」
「え、本当にいいの!?」
クリリンに念を押され少し戸惑うビーデル
だが18号の前でそんな弱気な姿を見せるのは、何となく敗北したような気がする。
意を決してこくりと頷くビーデルに「はーい♪」と元気良く返事をするマーロン。
台所に向かう娘に続いて、クリリンも部屋を出た。
残された二人はしばらく見つめ合う。
何故だか判らないが、逸らしてはいけないと、自分の心が鼓舞していた。
「金以外であたしに用があるなんて驚きだね。本当のことを聞いて取り返しにきたと思ったのに」
口元にほんの僅かな笑みを浮かべながら、鋭い視線を少女に送る。
「父がしたことですから、もう結構です」
だがビーデルも、その視線を堂々と受けてたちながら、先ほどと同じくきっぱりと言い切った。
「でも二度目は許しませんよ。二人とも」
「判った判った。これっきりにするよ」
ビーデルのことは良く知らないが、かなり潔癖な性格のようだ。
真っ直ぐな枝ほど折れやすく、ピンと張られる布ほど裂けやすいということを知らない。
判っていてもそれを止めることは出来ない部類の人間なのだろう。
それを指摘したら一体どんな顔をするのか、少し興味が湧いてきた頃。
クリリンとマーロンがそれぞれのお茶を持ってきた。
「はーい。どうぞー」
こぼさない様にゆっくりとテーブルに置いた湯飲みの中には、透明感ゼロの緑色の液体が満ちていた。
名前は知っているが、実際に飲んだことはない。
マーロンに礼を言って恐る恐る口にしてみる。香りは良かった。
・・・・・・・・・・・良く判らない。
でも渋みの中にある僅かな甘みと、まろやかな食感が心地よかった。
「美味しいです」
「それは良かった」
口に合ったようでほっとしたクリリンは、娘を手招きした。
「マーロン。外に行こう」
「・・・うん」
頷くもじっとビーデルを見つめるマーロン。
きっと一緒に遊びたくてたまらないのだろう。
「ごめんね。すぐに終わるから、それから遊ぼうか」
「うん!」
もう一度頷き、くるりと踵を返してとてとてと外に出て行った。
素直なマーロンを微笑ましく思いながら、ビーデルはクリリンに頭を下げた。
「すみません」
「いいって、いいって。
18号。くれぐれも失礼なことはするなよ」
「さあな」
ふんとそっぽを向いて18号は答える。
やれやれとため息を尽きながら、クリリンもまた外に出た。
「――で? 用って」
二人の気配が遠のいたのを見計らったかのように訊ね、
それに対してビーデルは少し間を置きながら、やがて口を開いた。
「私を・・・・・」
凛とした姿勢と、性格がよく現れているまっすぐな瞳で、ビーデルは叫ぶように言い切った。
「私を、鍛えて下さい!」