『お買い物』

 

 普段は静かな一人きりの家の中に、今日は珍しく三人も増えた。

 姪がぐずったか姉がからかいにきたのだろうか。

 追い返す理由も見つからないまま、17号はその三人を家に入れる羽目になった。

「ごめんごめん。突然来ちまって。

 お詫びに夕飯作るから」

 そう言ったのは義兄に当たる男で、これもまた断る理由もなく、その間にまとわりつく姪の相手を適当にしておいた。

 そんな時、それは起きた。

 

 

「あ」という言葉にいち早く反応したのは、一人の少女のみ。

「お父さん、どうしたの?」

 てててっと歩み寄り、台所に立つ父の足元から見上げながら小首を傾げるマーロン。

 そんな愛娘に困ったような笑顔でクリリンは答えた。

「ちょっと困っちゃったんだよ」

「? 何が」

「調味料が足りないんだ」

「ここにはないの?」

「探したけどなさそうだなあ」

 言いながら、クリリンは17号に訊ねた。

「なあ17号。お前ん家、八角ある?」

「は?」

「だから、八角」

「・・・知るかそんなもん」

 思いっきり訝しむ表情の17号に、クリリンは宙に八角形の図形を書き出した。

「こういう八角形の星みたいな形してて、赤い色してるんだけどさ。

 ・・・うーん、まあさすがにこの地域では見かけないか」

「それがないと駄目なの?」

「ちょっと代わりになるようなものも無さそうだしなあ。

 買ってこようにも、俺は料理放ったらかしにも出来ないし・・・」

 顎に指を添えて唸る父に、マーロンは嬉々として提案した。

「じゃあ、あたしが行くー」

 それに対し、苦笑しながらクリリンは優しく頭を撫でる。

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、どうやって行くんだ?」

「あ・・」

「叔父さんに連れて行ってもらえばいいじゃないか」

 それまで傍観していた18号が、ここぞとばかりに言い放った。

「何で俺が」

「マーロンはもちろん、叔父さんと一緒でいいよな?」

「うん!」

 自分の意見も主張も完全に無視する姉と、元気よく頷く姪。

 これ以上の抗議は無理そうだ悟るのに、充分な材料であった。

「じゃあ決まりだね。いってらっしゃい」

「はーい」

 早速出かける支度をする母娘を遠巻きに見つめる17号の背中に、クリリンの遠慮がちに言葉が届いた。

「・・えーっと。じゃあ悪いけど、ここから一番近い店教えるから」

「・・・・・・・・・ああ」

 不機嫌極まりない声で、とりあえず17号も支度を始めた。

 

 

 事態は緊急を要するということで、車は使わず舞空術で移動することとなった。

 マーロンを小脇に抱え、飛び立つこと数分後。

 はしゃぐマーロンの声を耳にしながら、目的の店の周辺に到達したことに気付き、少し離れた所で降り立った。

 地面に下ろされながら、マーロンは疑問を口にした。

「まだとおいよ?」

「飛んでいる所を見られるとうるさいからな」

「何で?」

 それはあまりにも自然な質問だった。

 だが裏を返せば、それは世間一般の常識に欠けているということだ。

 普段知り合いの誰もが舞空術を使いこなしているのを見ているマーロンにとって、人は飛べるものと認識しているのだろう。

 仕方ないといえばそれまでだが、これではおいおいと人の中に入れられない。

 しかしそれを、この幼子が理解できるだろうか。

「もう少し大きくなれば判る」

「そうなの?」

 今の17号には、これしか返せる言葉を思いつけなかった。

 人は普通飛べないのだと言って、じゃあ自分はどうして飛べるのかと返されたら。

 そして自分を、普通として見てもらえなくなってしまったら。

「叔父さん?」

 マーロンの言葉に、17号ははっと我に返り、そのまま無言で店に向かって歩き出した。

 

――馬鹿馬鹿しい――

 

 後ろから慌ててついてくる足音に、17号は一度立ち止まった。

「ほら」

 差し出された手に、嬉しそうに両手を伸ばすマーロン。

 

――俺は弱くない――

 

 握られた手から、温かい感覚が伝わってくる。

 そして向けられた笑顔も、それ以上に温かかった。

 

――こんなモノ失って、どうかなってしまうほど、俺は弱くないぞ――

 

 

 それでも、繋いだ手を離す気はなかった。

 

 

 その店は小さいながらも、周囲に同系の店がないせいか、そこそこに繁盛していた。

 北と東の中間地点に位置することから、それぞれの一般的な日常品を取り揃えており、

 その結果、常にほどよい客で賑わうことに成功した。そんな店だった。

 訪れる客の顔など、よほど馴染みがなければあまり興味が湧かない店の店主も、その客には少し目を奪われた。

 年のころなら十代後半か二十代前半の青年。その端正な顔立ちは、色んな意味でも目立っていた。

 その中でも一番目を引くのは、やはり油断のならないあの鋭い眼光だろうか。

 だがもっと目立っているのは、その青年が手を引いている存在だった。

 金色の髪を左右に結んだ、まだ幼い娘だった。始終青年に笑顔で語りかけ、それに対して青年は一応相手をしている。

 青年の雰囲気と娘の愛らしさが、店主にはどうしてもちぐはぐに見えてしかたがなかった。

 だがあまり無遠慮にじろじろ見ても失礼だろう。未練はのこるも店主はとりあえず仕事に集中した。

 しばらくすると、他の客の声が耳に入ってくる。

 内容は予想通り、さきほどの奇妙な二人のことだった。

 まあ話題にならない方がおかしい。こんな辺鄙な所なら尚更だろう。

 たまにはこんな日もあるものだと、店主はそれで自分の好奇心を終了させることにした。

 だが『こんな日』は、まだ終わりではなかった。

 

 

 派手な音を立て、なかば壊れる勢いで店の入り口が開け放たれ、続いて銃声が店内に響き渡った。

「全員ふせろ! おかしな真似したらぶっ殺すぞ!!」

 次に数人の黒服の男達がなだれ込み、もう一度銃が唸りを上げると、店内は一時、さまざまな悲鳴で溢れかえった。

「さっさとしろ。本当にぶっ殺されてえのかっ!」

 悲鳴に混じって誰もが床ギリギリまで身を伏せる。

 商品に並ぶ陳列棚から何も見えなくなったのを確かめて、男達はレジカウンターに歩き始めた。

 カウンターに皮の袋を二・三個置き、勢いよく口を開く。

「じじい。金を全部この袋につめな。店中の金全部だ!」

 だが店主は完全に怯えきり、すぐには反応できなかった。

「早くしろ!」

 男の怒声に怯えたのか、客の女性から悲痛な悲鳴が漏れ出る。

 声に男達の一人が視線を向けると、その更に奥の方に何かが見えた。

 陳列棚の向こうに、青年の顔が見えた。

「おいお前。伏せろと言っただろう」

「伏せただろう。一度」

 ぽつりと言ったその言葉を、男たちは最初理解できなかった。

 更に言えば、自分一人ならば、その青年は絶対に伏せなかっただろう。

 一度伏せたのは、傍らに居た娘の安全の確保のためだけでしかなかった。

「何言ってんだあ・・? てめえ」

 妙な緊迫感漂う店内に、続いて場違いなほど可愛い声が上がった。

「叔父さんっ」

 声はその青年のすぐ後ろからだった。

「叔父さん、これって・・・」

「お前はそこにいろ」

 無駄に心配させる時間を与えたくないのか、青年は娘の言葉を遮る。

「ぎんこーごーとー?」

「・・・惜しいな。強盗違いだ」

 どうやら娘はあまり状況を把握していないようだ。その証拠に声にあまり不安感を感じない。

 それでも青年はとりあえず、娘の言葉に訂正を入れておいた。

 気を取り直すように、近くで伏せている老人に娘を預ける。

「じいさん。そいつが勝手に動かないよう見張っといてくれ」

 恐る恐る娘を抱きしめる老人は、青年の不敵な笑みを見ながら警告した。

「ああ・・あんた。何をするつもりだ。

 悪いことは言わん。やめておけ。そんな丸腰で」

「俺は急いでるんだよ」

 言いながら青年はゆっくりと、ゆっくりと黒服の男達に向かって歩き出した。

 やがて棚に遮られて見えなくなったが、足音だけを頼りに老人は青年の生死を確認した。

 足音が止まる。

「馬鹿が。なに正義面してやがる」

 身の程を弁えない上っ面の正義ほど馬鹿馬鹿しいものはない。男達は一斉に笑った。

 そして青年も笑い出した。男たちの野太い声とは質の違う、どこまでも響き渡る笑い声だった。

 あまりにも性質が違うため、やがて男達の笑い声はかき消されていった。

 青年はわずかに笑いの余韻を残した口元で言った。

「この俺が正義面に見えるなんて、堕ちたもんだ」

 青年の異様な雰囲気に気圧されそうになるのを、無理やり振り切って男の一人が吼える。

「ふざけやがって。死ねえっ!!」

 一斉に発砲される射撃音と、客達の恐怖に満ちた悲鳴が店内を揺るがした。

 せめてその音を聞かせないようにと、老人は娘の耳を懸命に伏せる。

 やがてカラン、カラン、と薬莢が床を転がる音が途絶え、今までの騒音が嘘のように店内は静寂に包まれる。

「あ・・・あ・・・」

 誰かのうめきとも取れる声が老人の耳に届いた。

 きっと悲惨な遺体に言葉も出ないのだろう。青年の早すぎる死と、残された娘が哀れでならなかった。

 その瞬間。

 ドスッ。と鈍い音と共に、黒服の一人が目の前を飛んでいった。

 そう、文字通り飛んでいったのだ。

 飛んでいった男が壁に激突するのと同時に、続いて床全体に広がる振動を感じた。

 それはまるで、重いものを一気に床に叩きつけるような重みを感じされる音だった。

 何が起こっているのか判らない老人は、ただただ耳に届く騒音を聞くしか出来ない。

 暫くしてまた静寂が訪れる。

 いや、静寂は足音によって遮られた。

 カツンカツンと革靴の底が床に当たる音が、一度店の中を廻り始めた。

 やがてぴたりと止まり、そしてまたカツンカツンとレジに進む音がした。

 続いてカウンターに何かをのせるような気配と共に、足音はこちらに向かってやってきた。

 その足音が近づくたびに、老人の背中を冷たい汗が流れては落ちる。

「あ、叔父さん」

 足音が止まる。その先には、さきほどの青年がいた。

 手には何か商品が握られていた。

「用は済んだ。帰るぞ」

 娘の手を取り、青年は手に掴んだ商品をみせる。

「もうやっつけたの?」

「ああ」

「叔父さんすごーい!」

「当たり前だ」

 娘の絶賛に気を良くしたのか、青年は口角を上げながら娘を片手で持ち上げた。

「世話になったなじーさん」

「おじーちゃん。ばいばーい」

 二人は店の出入り口へと向かう。

「わー本当にお星様みたい。きれー」

「ちゃんと持ってろよ」

 そんな平和な会話を交わしながら、二人の気配は消えていった。

 のこされたもの達は、暫く身動きが取れなかった。

 それでも何とか動けたのは、さきほど娘を守っていた老人であった。

 四つんばいになりながら、恐る恐るレジカウンターに向かうと、見るも無残な光景がそこにはあった。

 銃は全て粉砕され、黒服の男たちが一人は床に突っ伏し、一人は口や鼻から血を流し、一人は昏倒し、一人は痙攣していた。

 よく見ると壁際に背を預け、うずくまっている者がいる。

 更によく見ると、口元が小刻みに揺れていた。

 まるで寒さによって歯の根が合わなくなったように、カチカチ、カチカチと。

 老人は勇気を出してその者に近づいた。一体何が起こったのか、恐怖よりもその好奇心が勝っていたのだ。

 ようやく表情などを確認できる所まで近づけたとき、老人は気付いた。

 唇が小刻みに揺れているのは、何かを口走っているからだった。

 だがその声はあまりにも小さく、かなり近づかないとよく聞き取れない。

 さらに膨れ上がる好奇心で、老人はその声に耳を傾けた。

 何とか言葉を聞き取れた。

 

「そんな馬鹿なそんな馬鹿なそんな馬鹿なそんな馬鹿なそんな馬鹿な。

 当たっていたのに。絶対当たっていたのに。当たっていたのに当たっていたのに当たっていたのに。

 そんな馬鹿なそんな馬鹿なそんな馬鹿なそんな馬鹿なそんな馬鹿なそんな馬鹿なそんな馬鹿な・・・」

 

 

「お父さん。買ってきたー」

「おー。ありがとう。遅かったけど迷ったか?」

 何か言いかけるマーロンの声を遮って、17号が答えた。

「別に」

 一応口止めはしては置いた。話せば厄介なことになるのは目に見ていたからだ。

 コートを脱いで深々と椅子に腰掛ける弟に18号が目を細めて訊ねる。

「デートは楽しかったかい?」

 完全なからかいの言葉に、17号は頬杖をついてそっぽを向いた。

「今度はお前が行けよ」

「いいじゃないか。たまには可愛い姪っ子の相手でもしてないと、枯れるよ」

「何が枯れるんだ」

 二人の静かな言い争いをよそに、マーロンはつけっぱなしになっているテレビの前にちょこんと座った。

 暫く流れるテレビの音から、こんな声が耳に届く。

≪先ほど入りました、静かな町に起こった強盗未遂事件のニュースです≫

 ぎくりとする17号と、ぱっと輝くマーロン。

≪本日未明。郊外のとある店に複数の男が押し入り、現金を強奪する事件が起こりました≫

 早い。いくらなんでも早すぎる。

 もしかして、あの強盗が入ってきたときには、もうすでに警報装置が押されていたのか。

 それとも辺境すぎて他にニュースがなかったのか。

≪ところが、駆けつけた警官隊が目にしたものは≫

 ブツッ。

 17号が素早くテレビを消したが、すでに手遅れであった。

「さっきの店って、あんた達がいった所だね」

「・・・・・」

 ピッと18号が再びテレビをつけると、勢いあまった老人が映し出された。

≪信じられんよ! あっという間だったんだ。みんなあの若者が倒しちまったんだよ!!≫

 あのじじい・・。余計なことを。

「ふうん。すごい若者がいたもんだ」

 がやがやとテレビから聞こえる雑音の中から、わずかにこんな言葉が聞こえた。

≪本当なんだよ! 銃が全然効かなかったんだ! 本当だ!! 信じてくれ≫

≪尚、唯一意識のあった強盗の一人は、暫く精神が錯乱している状態であると共に≫

 ブツ!

 再度、17号の手により、テレビは沈黙した。

「・・・17号」

 台所からいつ間に出てきたのか、クリリンが静かに口を開く。

 それに合わせて、18号の口も同じように動いた。

『お前一体なにをしたっ!?』

 何で俺が叱られなければならないんだ、という抗議は無駄に終わりそうだと、17号は早々に諦めた。

 

 

「何でお父さんもお母さんも、叔父さんのこと怒るんだろうね」

 姉夫婦にさんざん小言を言われ、嫌気が差した17号は隣の部屋に引き込んだ。

 その後をマーロンが追い、椅子に座りうんざりした表情の叔父の隣りに駆け寄って今に到る。

「叔父さんはわるい人やっつけたのにね」

 言いながら、椅子を懸命に引っ張ってくる。

 何をする気か横目で観察していると、隣りにぴたりと添えらせ、その上によじ登っている。

 ようやく椅子の座面に立ち上がったマーロンが、にっこりと笑って手を差し出した。

 その手が自分の頭を優しく撫でる。

「・・何をしてるんだ?」

「良いことしたから、良い子良い子してるの」

 突っ込むのももはや面倒になり、マーロンの気が済むまで17号はじっとしていた。

 やがてこの無償の愛情に、口を挟みたくなってきた。

「あいつらが怒ったのはな。お前が一緒にいたからだよ」

「え?」

 マーロンの手がぴたりと止まる。

「普通の人間はな。銃で撃たれたら死んじまう。

 俺が無事でもお前はとても危なかったんだ。だから心配のあまり怒ったんだよ。

 本当ならお前を連れて、さっさと逃げ出すのが一番良かったんだ」

「でもでも、みんな困ってたし。わるいことは止めさせなきゃ。

 それにあたしは大丈夫だし、叔父さんも大丈夫だよ」

「俺はあんなもんじゃ死なない」

 伸ばされた小さな手を握る。あの時と同じ温かい手。だがその温もりから、微かな不安が伝わってきた。

「お前とは違うんだよ」

 にっと笑って、17号はマーロンの反応を待った。手は振り解かれてもいいように、全く力を込めていなかった。

 

「違って何かいけないの?」

 

 マーロンは相も変わらず、純粋な疑問を口にした。

 そんな言葉が返って来るとは予想していなかったのか、17号は思わず呆気に取られてしまった。

「だって、それが叔父さんでしょ?」

「お前は・・・いいのかそれで」

「うん。叔父さんは叔父さんだもん。あたしはそんな叔父さんが大好きだよ」

 そうか。それでいいのか。

 マーロンの手を握りながら、17号は力なく笑った。

 こんな子供にあっさりと一蹴されるなんて。

 結局、一番馬鹿馬鹿しかったのか、俺の方だったのか。

 改めて握り締める手の温もりは、いつものように愛情に満ちていた。

 何だかそれで、とても救われた気がした。







あとがき
 叔父さん大活躍の巻。(誇張なし)
 ただ単に強盗をあっさりノさせる叔父さんが書きたかっただけです。
 あとマーロンちゃんをボケ役にしたかっただけです。
 でも子供は時々真理をつくよね。

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