『タイミング』
そこに向かう事に、特に意味は無かった。
本当に、単なる気まぐれに過ぎなかったのだ。
※
ぱしゃっ、と水が跳ねる音と共に、マーロンは水中から顔を出した。
息を整えながらたゆたう波に乗って、ゆっくり砂浜へと泳いでいく。
目の前に海があり、気持ちよいほどの晴天ならば、泳ぎたくなるのは当然のことであった。
幼い頃から親しんだ海の中は、いつでも自分を心地よく包んでくれる。
どこまでも続く美しい蒼の世界を、いつまでもいつまでも堪能するのは至福のひと時であった。
いつもあまり海に入り過ぎていると注意されるのだが、今日は誰もいない。
かといって、勝手気ままに泳ぎ続けるほど、マーロンはもう子供ではなかった。
海は優しいが、油断も出来ないのは、この身体が一番知っている。
少しのだるさを感じたら、すぐに引き返さなといけない。
身体を覆う水の面積が少なくなるにつれ、身体に重みが感じられてきた。
やっぱりちょっと調子に乗りすぎたかなと自重し、砂浜に足を踏み入れ、用意していたタオルで身体を拭く。
――シャワーを浴びて、ちょっと眠ろうかな――
心地よい気候に、すでに眠気を感じ取り、マーロンはのろのろと浴室に向かった。
※
今日は特に何もない一日だった。
故にほんのきまぐれで、ここに来ようかなと思い立ったのだ。
マーロン以外誰もいないことや、彼女がシャワーを浴びているなど、その時は全く予想もしていなかった。
と言っても、弁解になりはしなかった。
※
ぬる目のお湯が、肌に心地よく当たっていく。
すでにトロンとした頭でぼんやりと感じていたマーロンは、最初その音がなんなのか理解出来なかった。
・・・・・・・・・・・あれ?
水の弾ける音に混じって、確かに何かを耳が捉えた。
・・・・・・・・・・・・・・・電話!?
慌ててマーロンは浴室を出て、タオルを巻いて居間に向かう。
年頃の娘としては随分はしたない恰好だが、今は緊急事態であった。
勢いに任せて受話器を取ったせいか「はいっ!」と思わず声も勢いづいてしまった。
『マーロン?』
「あ、お母さん」
『いい子で留守番してるかい? ちゃんと戸締りしてる?』
「もー、子供じゃないんだから」
『一人だからって、気楽な恰好してんじゃないだろうね』
自分の姿を改めて見つめ直し、マーロンは一瞬言葉につまった。
「だ、大丈夫!」
『ふうん。まあそれならいいけど、でも昼間だからって油断するんじゃないよ。
大体あんたはいつも無警戒なんだから、ちゃんと年頃の娘って自覚持たなきゃ』
「んー・・・」
砂を踏む音がした。
「あ」
声がした。
振り向いたその目に映った人物よりも、マーロンの顔の方が驚きに満ちていた。
『マーロン?』
「き・・・・・・・・・」
『マ』
「きっゃゃゃゃゃゃややややややややややあああああああああああああああああ!!!」
耳をつんざくような声と共に、マーロンは全力でその場を離れていった。
残されたかの人物は、どうしようかと考えた末、とりあえず受話器を戻しておいた。
※
何で? 何で何で何で? 何でいるの? どうしているの?
何でよりにもよってこんな時に来るの!?
自分を覆っているのは、頼りないタオル一枚。たったそれだけの姿。
それをよりにもよって、見られてしまったのだ。
急いで衣類を身に付け、そろそろと居間に戻り、ドアの隙間からちらりと中を覗く。
その人物は、まだそこにいた。
気配に気付いたのか、視線がこちらに向かうと、マーロンは思わずひっこんでしまった。
「おい」
部屋の中から、少し低めの声が自分を呼び止める。
足音が聞こえ、ドアを開けようとするも、それをマーロンは制した。
「駄目! 開けないで」
「何でだよ」
「だって恥ずかしいでしょ!!」
「お前だけだろ」
「恥ずかしいものは恥ずかしいの! 絶対に開けないでよ」
ここは大人しく従っていた方が良さそうだ。
はいはい、とため息をついたと同時であった。
反転させた身体の真横を、何者かの拳が突き進んだ。
「・・・・・・・何でお前、そんな殺気立ってるんだ?」
「・・・・・・・・・・じ、17号・・・・」
返す掌が17号の胸倉を掴み上げ、18号は音を立てながらドアに押し付けた。
「あんた・・・マーロンに何したんだい」
「はあ?」
「とぼけるんじゃないよ。マーロンが悲鳴を上げて、お前がここにいるんだ。
それにさっきの会話はなんのことだい? マーロンにどんな恥ずかしいことしたっていうのさ!!」
ああ・・・どうしてどいつもこいつもタイミングが悪いんだろう。
怒りに煌く姉の目を見ながら、17号は半ば諦めの表情で、後ろの扉をコンコンと叩いた。
「おい。俺じゃ無理だ。お前から説明しろ」
「あ・・え・・あの、お母さん。違うの。これは・・・・・」
※
ようやく一部始終を理解した18号は、マーロンの頭を一度小突いた。
「もう! だからあんたは無警戒だっていってるんだよ!
ほらみろ! そんなんだからこんな奴が寄ってくるんだ」
「だれがこんな奴だ」
小突かれた頭を撫でながら、涙目でマーロンは謝った。
「うぅ〜・・・。ごめんなさい」
素直に謝ったのなら良しということなのか、今度は弟に振り返る。
「で? あんた何しに来たわけ?」
「あ? ああ・・・。
ヒマだから来ただけだ。特に用はない」
「ふうん。暇つぶしで娘の裸見られたなんて、たまったもんじゃないね」
「は、裸じゃないもん!」
「見てない。見たとしても一瞬だ」
「わたしが帰ってこなきゃ、どうなってことやら・・・」
「いい加減にしろ。俺に絡むのはよせ」
言って立ち上がり、17号は外に出た。
「待って! 叔父さん」
慌ててマーロンはその背を追いかける。
すぐにでも飛び立とうとする叔父の背に向かって、懸命に頭を下げた。
「ごめんね。本当にごめんなさい」
全て自分のせいなのに、結果、彼が一番非難されることになってしまった。
そんな申し訳なさそうな姪に、17号はぶっきらぼうに言い放つ。
「別に怒ってない」
「でも・・・」
「それに今の雰囲気じゃ、居づらいからな」
しゅん、とうな垂れるも、そっと視線を17号に寄せた。
「また・・来てくれる?」
すっと伸ばされた手が、自分の頭を優しく包んだのが判った。
「今度は服着ててくれよ」
かっ! と頬が火照る瞬間に手は離され、すぐさま彼の姿は空に消えてしまった。
暫く仰いでいた視線を戻し、家の中に入る。
母は微笑みながら出迎えた。
「お母さん。そういえばお仕事は?」
「電話の時点で終わってたんだよ。それを言おうとしてたんだけど」
「あ、そうだったんだ」
「まあ、それにしても、17号で逆に良かったかな」
「え?」
頬杖をつきながら、にまにまと口元が緩んでいる。
「あんたにとっては」
「そ、そんなことは・・・」
うつむく顔は判りやすいほど紅潮していた。
「それしても、お互いタイミングが悪かったねえ」
「うん」
「でもお父さんがいないだけマシだったね」
「う・・うん」
「絶対言っちゃ駄目だよ」
「言うわけないでしょ」
ようやくひと段落したと感じた瞬間、耳にいつもの心地よい波の音が届いた。
どれほどの騒動があろうとも、海だけはいつものように穏やかだ。
今のマーロンには、それが一番有り難かった。
(了)
あとがき
たまにはこういうのも書いてみたくなるものでして。
この二人もそうだけど、クリパチもタイミング悪そうだなと思います。
親の因果は子にも影響でるのかも。
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