『贈り物』
眼下に広がるのどかな田園風景を視界の端に捉えながら、クリリンは黙々と歩みを進めていた。
久しぶりに帰還した故郷は、季節のせいか柔らかい日差しに満ち溢れた、牧歌的な風景だった。
現在住んでいる場所が場所だけに、たまに昔馴染んだ気候に触れるだけで、少しほっとしてしまう。
そんな心境に複雑な思いを抱きながら、やがて一軒の店にたどり着いた。
失礼しますと一言断ると、中から間延びした女性の声が返ってきた。
引き戸をゆっくりと開けると、周囲を反物に囲まれ卓の上の帳簿を片手に持つ一人の女性が、のんびりとお辞儀をした。
右肩に垂らされた黒髪が、お辞儀の仕草と共に前に傾く。
「いらっしゃいませ」
「お久しぶりです」
一礼するクリリンに、この店の主人であるらしい女性は目を見開いた。
「まあまあ。クリリンさんではありませんか。
お久しぶりですねえ。いつこちらにお戻りに?」
「昨日です。今日は寺の遣いで参りました。
これが終わったらすぐに帰るつもりです」
「まあそうなんですか。慌しいですねえ。もっとゆっくりして下されば宜しいのに」
女主人は陽だまりの猫のような細い目をなお一層細めながら、ほっそりとした指を口元に当てた。
「でも、こればかりは仕方がありませんねえ。
最愛のお方を娶ったばかりでは、ひと時離れるのですら惜しいでしょうに」
クリリンは笑顔のままで固まった。
「・・・・・・・・・・どこからそれを」
女主人は春風のように柔らかく笑う。
「狭い田舎ですからねえ」
結婚したことは故郷の誰にもまだ言っていない。
時が経てば改めて報告に来るつもりではいたのだ。ただその時が、今ではないだけだった。
だが田舎の情報網の恐ろしさを、クリリンは改めて思い知った。
「――申し訳ありません」
青ざめながらも素直に非を詫びて、先ほどよりも深々と頭を下げるクリリン。
「いいんですよ。そちらも色々とご都合がおありでしょうに」
ころころと笑う笑顔が余計突き刺さった。
早急に用件を済ませて帰ろうとしたその時、クリリンの視線があるものを捉える。
それは単衣の着物だった。
全体を白で基調し、その中に添えられる模様は銀糸の色だ。ただそれだけの作りであった。
だが、それが余計に目を惹いた。
「これは?」
思わず口に出して、クリリンは更に見つめた。
「まあまあ、それをお目に留めるなんて。
いえね、大変珍しいものが出来上がりまして、今日初めて出してみたんですよ」
「すみません、無学なモンであまりこういった類の善し悪しは判らないんで、軽々と言うつもりはないんですが。
これは・・・見事ですね」
「ありがとうございます」
まじまじと見つめるクリリンを、少し傾いだ瞳で見つめながら、彼女は思うままに口にした。
「奥様に?」
「う゛っ・・。
その前に着るかどうか」
「こういうのはお嫌いでしょうか?」
「着物は想定の範囲外でした・・。
しかし、見れば見るほど見事ですね」
惚けたように見つめ続けるクリリンに、更に追い討ちを掛けてみる。
「そこまでお気に召して頂いたのなら、旧知のよしみで特別に二割引に致しますが?」
それでも、これほどの出来なら値段もそれなりだろう。だが二割引という言葉は魅力的だった。
誘惑に駆られようとしたその時、ギリギリの所でクリリンは思いとどまった。
待て。まあ待て。着物なんてそもそも衝動買いする物でもないし、これで気に入らなかったらそれこそ洒落にならない。
それによほど着物好きな相手でもない限り、贈り物に着物なんて普通に引かれるだろう。
「あ、そうそう、そう言えば」
クリリンの葛藤などそ知らぬ顔で流しながら、女主人はぽんと手を叩いた。
「この模様の花の花言葉が、また素敵なんですよ」
「花言葉?」
「はい」
微笑みながら口にした女の主人のその言葉に、クリリンは先ほどの葛藤が一蹴された。
口元に苦笑とも喜びとも付かない笑みを浮かべながら、クリリンは笑った。
「あははははは・・・。今、物凄く縁というものを感じました」
「まあ、そうなんですか」
「ああもう戴きます。これも何かのお導きでしょう」
「お買い上げありがとうございます」
そそくさと着物を整理しながら、女主人はふと顔を上げた。
「ところでクリリンさん」
「はい」
「小物は?」
「は?」
「足袋は? 腰紐は? 帯留めに帯揚げに帯締めに髪飾りは?
まあ無いんですか。それは大変。一体どうやって着せるおつもりですか?」
し・・・・・・・・。
しまったああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
着物は時には小物の方が金がかかるものだということを、長年の外暮らしですっかり消失していたことに、
クリリンはこれ以上ないほどの無念を感じることとなった。
※
「おかえり」
わざわざ出迎えてくれた18号から、箱を必死で隠しながら、クリリンは一歩を踏み出せないでいた。
縁だのなんだの言っても、やはりいきなりこんな贈り物はどうなんだろうか。
女性に対しての心配り以前の問題ではなかろうか。
躊躇するクリリンに18号の訝しげな視線が注がれる。
「なんだい? 変な顔して。早く入りなよ」
「あー・・・。うん」
どこか上の空のクリリンに、18号はむっとした。
「どうしたんだよ一体!
――何、それ?」
目ざとく見つけた18号は、じっとクリリンを見据え、素早く後ろに回る。
「あ゛っ」
「何これ」
「え・・えっと。お前に」
「わたしに?」
改めてクリリンから手渡されたそれを、18号はしげしげと見つめた。
「一体どんな風の吹き回しだい?」
「人聞き悪いなあ。俺だってお前に何か贈りたいって思うときぐらいあるよ」
「ふうん。
ま、何でもいいから早く入りな」
箱を片手に中に促す18号。
先に入ったクリリンは気づかなかった。
18号の顔が、少し緩んでいたことに。
箱を一度テーブルに置いて、ひとまず飲み物の用意をする。
18号手ずから注いでくれた茶を受け取りながら、クリリンはちらりとテーブルの上の箱を見つめた。
何だか申し訳なさそうに茶を飲みながら一言断る。
「あ、あのさ。買った俺が言うのも何だけど。
ちょっとこれは好みが分かれると言うか、贈り物としては微妙というか」
「なんだいそれ・・・。そんなもの買ったの? いくら?」
視線を逸らしながら、すっと指を立てる。
「何だ。それぐらいか」
「それぐらいって!?
前々から思ってたけど、お前の金銭感覚どうなってんだよ!」
「うるさいねえ。金はあるに越したことないだろ」
クリリンの説教を流しながら、ひょいと箱を持ち上げて包装を解いていく。
フタを開けた瞬間、18号の動きが止まった。
やっちまったかなあ、と心の中で呟きながら、おずおずと18号にお伺いを立ててみた。
「18号。いきなりこんなのはちょっとやっぱりアレだから。
・・・か、返そうか?」
「何で?」
「え?」
「いい品じゃないか」
するりと箱から持ち上げ、全体を眺めてみる。
絹とはまた違った心地よい質感、銀糸で縫われた模様が全体の白と程よく相まって、お互いが絶妙に融合している。
そっと撫でてみると、とてつもなく繊細な彫り物のように、心地の良い手触りが返ってきた。
「この模様。花? 何て花?」
「桜だよ」
「へえ。これが・・綺麗だね」
18号は静かに感想を述べる。
「そんなに珍しいか? 着物が」
「こんなに間近で見たのは初めてだ。こんな作りになってるんだね。
――これは?」
着物から箱へと視線を移し、小物類を一つ一つ取り上げる。
着物も初めてなら、小物などもっと初めてだろう。
次々に取り出しては、テーブルの上に置き、まじまじと物珍しげに見つめていた。
女主人に一杯食わされたこともあってか、やけになったクリリンが吟味に吟味を重ねて選んだ品だ。
金に糸目はつけなかった。
あの店は高価だから価値のある物は置いてはいない。価値があるからこそ高価な物しか、あの女主人は許さないからだ。
「全部着物に必要な小物だよ」
「どうやって使うんだ?」
「着れば判るよ」
「着方なんて知らないよ」
「俺が着せてやるよ。一応習ってきたから」
気に入ってもらえてほっとしたのか、クリリンの顔にいつもの笑みが戻っていた。
そんな彼をちらりと見て、「じゃあ、着てみようかな」と着物を広げてみた。
「そうか。じゃあ、ここじゃなんだから、あっちの部屋に行こうか」
振り仰げば、南特有の濃厚な青とどこまでも続く白い雲。視線を少し落とせば澄み渡る藍色の海。
そんな所で純白に銀の刺繍を施した着物姿の人間など、結構、というかかなり異様だろうなと頭の片隅で思い
ながらも、
目の前で感極まっているクリリンを見ていると、苦笑交じりの笑いしか出てこなかった。
「綺麗だなあ・・・」
もう何度この言葉を聞いただろうか。
淡い白の色は、太陽の日差しに溶け合い、それ自体かまるで月光のように輝いて見える。
ふと近づいて来たクリリンが、18号に一歩近づき自然に手を握った。
「すっげえ綺麗だよ。18号。
もう本当、幸せ過ぎて夢みたいだ」
「・・・・・・・・・・・・・」
いつもの彼ならば、こんなに積極的に触れてはこない。
己の動揺を気づかれないようにするあまり、軽口すら叩けなかった。
「着てくれて有難うな。でも窮屈だろう?」
「・・・・・・・・いいよ」
「大丈夫か? 苦しいだろう?」
「いいってば。
お前が嬉しいんなら」
「あ・・・。
あ、あははははは。ごめん。俺ばっかり浮かれてて」
キツけりゃすぐ言えよ、と心配そうに覗き込む顔に向かって、こちらも顔を近づけてみた。
「いいんだ。わたしも嬉しいから。
綺麗な服着て、嬉しくない女なんていないさ。
それに――」
そのままの調子で言おうとしたが、思った以上に言葉が上手く出て来ない。
不自然に固まった唇を一度軽くかみ締めて、視線を少し下げながらようやく言えた。
「あ、あんたが選んでくれたんだから。
だから、もっと嬉しい」
今度は言われた本人が固まった。
こんなに素直に彼女の口から気持ちが伝えられるなど、滅多にないことだったからだ。
18号は本当に嬉しかった。
贈り物以上に、自分のことを想って、考えてくれたその気持ちが。
だがそれを表現することに、今までの彼女は躊躇していた。
本気になるのが怖かった。
全てを受け入れた瞬間に、その全てを壊されるのではないかと不安だった。
信じれば信じるほど、裏切られた時のショックを思うと耐えられなかった。
だがそんな考えは全て杞憂だと、これまでの日常が教えてくれた。
だからここまで素直になれたのだ。
でもきっとこいつは。
そんなこと、一生知ることはないだろう。
でもわたしだって。
こいつの苦しみを知ることは出来ない。
それは幸せなのだろうか。
それとも不幸せなのだろうか。
少なくとも私は。
「なあ、クリリン」
「――え、何?」
先ほどまで見つめあいながら沈黙していた相手に突然話しかけられ、クリリンは目を見開いた。
「わたしは、幸せに見えるか?」
「は? え・・・」
そう言って暫く口ごもる。
ぽりぽりと頬をかきながら、困った表情で小首を傾げ、
「難しいな・・・」
「そうかい?」
「だって、幸せだろうって言ったら、それは単なる俺のうぬぼれになるし。
じゃあ違うって言ったら、それはそれで俺が不甲斐ないだけだし。いやまあ、実際不甲斐ないんだけど」
「じゃあ正解を教えてやるよ」
言い終えた18号の唇が、そのまま静かにクリリンに触れた。
「あんたが好きになってくれた時から、わたしはずっと幸せだよ」
こんなことが言えるのも。
あんたしかいない。
あんたしかわたしを幸せには出来ない。
でもそんなことは。
一生言ってやらないけどね。
※
レンゲに覆われた田んぼに、蝶々がひらひらと揺れ泳ぐ。
穏やかな午後の日差しに照らされた大地を、18号は空から見下ろしていた。
その手には、昨日クリリンからもらった着物の入った箱があった。
やがて一軒の反物屋を発見し、とんと下りる。
土手を歩いていた一人の人間が、いきなり空から降ってきた女性に恐れおののいていたが、18号は気にも留めなかった。
何も言葉を告げず、がらりと引き戸を開く。
中には、やはり卓の上で帳簿に何やら書き込んでいた女主人が、突然の来客にさして驚くでもなく、ゆるりと顔を上げた。
「いらっしゃいませ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あら?」
歓迎の言葉から長い沈黙を経て、女主人は小首を傾げた。
やがてまた同じように首を元に戻し「失礼致しました」と頭を下げる。
非常にスローペースかつマイペースだが、こんな田舎ならさして珍しくもないだろう。
簡潔に用件を言おうとしたその時、女主人の片手が上がった。
「あの、ご無礼とは承知しておりますが、一つお訊ねしても宜しいでしょうか?」
「なに?」
「もしや、クリリンさんの奥様でいらっしゃいますか?」
「・・・・・・・・・・そうだけど」
「まあ!」
いきなり女主人の声のトーンが2つ3つほど上がった。
「まあまあまあ!! ぴったり」
「なっ何だよ!?」
「あら、取り乱してしまい失礼致しました。
いえね。あまりにもぴったりだったものですから、つい」
「何がだよ・・・」
多少うんざりしつつも、ようやく用件を口にした。
手に持った箱をずいと突き出す。
「昨日ここで買ったこの着物を着た」
「まあ早速。ありがとうございます。
着心地はいかがだったでしょうか?」
「良かったよ。質も良いし、なによりデザインが良い」
「お気に召されたようで安心致しました。
外のお方に着て戴かれるのは初めてだったものですから」
にこにこと微笑む女主人に、少し声を潜めて18号は語りかける。
「それでさ・・・着物の着方を教えてほしい」
「着方ですか?」
「自分で着れるようになりたいんだ」
「いつもいつも旦那様のお手を煩わされるのは、お嫌でしょうからねえ」
「そうじゃない。あいつの手を借りるのが嫌なんだ」
むすっとした表情で否定する。
そういった人間の扱いにも慣れているのか、女主人は笑みを崩さず立ち上がった。
「では、こちらへ」
「店は?」
「今日は特に予定もございませんから」
そんなんでいいのかと考えたが、さあさあと急かされるままに、奥に入っていった。
「初めにお断りしておきますが、最低一ヶ月は通い詰めて戴きますけれど」
「一ヶ月!? あいつはすぐ出来ただろう」
「クリリンさんは基本は完璧に出来ておりますからねえ」
なるほど。とても納得できた。
それにしても一ヶ月、しかも最低という言葉に早くも挫けそうになるも、首を縦に振った。
「判った」
「それではまず、お召し物を取らせて戴きますね」
「・・・っ!
いい。自分で脱ぐ」
「そうですか? ではどうぞ」
崩れぬ笑みを背に、18号は脱ぎ始めた。
後ろからはしゅるしゅると箱から取り出す着物の擦れる音が聞こえる。
沈黙が堪らなかったのか、照れ隠しのように声を荒げて18号は問いかける。
「さっきのアレは、どういう意味だ」
「アレ?」
「ぴったりって言っただろう。
お似合いとか、そう言う意味には聞こえなかった。ならどういう意味だ」
「はあ、アレですか。
クリリンさんからは何も?」
「何だ・・・結局あいつも絡んでるのかい」
「と言いますか、それがきっかけだったんですが」
「は?」
思わず18号は振り返った。
「さっぱり判らない。きっかけって何のことだ」
「花言葉と言うものがございましょう?
それがきっかけです」
言って、これと掲げるのは桜の花びらをあしらった純白の着物。
「この花の花言葉は『優れた美人』と言うんですよ」
そしてより一層の笑みで、女主人は絶賛した。
「本当に、貴女にぴったり」
「・・・・・・・・・・あ、
あんのバカ・・・・」
恥ずかしいとぼやきながら、くるりと踵を返す。
「クリリンさんも本当にお気に召したようで」
「も、もういい」
「でも判りますわあ。こんなにお美しいんですものねえ」
「もういいって!!」
しかしそれからも女主人の絶賛の嵐は続いた。
これが最低一ヶ月続くのならば、絶対に二度と来るものかと、心の中で拳を握り締める18号であった。
(了)
あとがき
『優れた美人』という花言葉を持つ桜は、ソメイヨシノです。
名前が名前だけに、DBの世界には合わないような気がして作中には出しませんでした。
まあ最初から世界観は壊れておりますがね。今更ですけどね。
とにかくこの花言葉を知った瞬間、絶対クリパチで使ってやると固く心に誓って早○年。
ようやく形に出来たのでほっとしています。
しかし純白の着物って、白無垢かよという突っ込みは
すでに私がこれでもかとしているのでもう不要です。(訳:突っ込まないで)
蛇足ですが、クリリンが18号に着物を着せる文は書いてはいたのですが、
途中から何か・・・エロくなったので割愛させて戴きました。
さすがにまだ18禁は書けません・・・(いつか書く気か)
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