『氷解』3

 

 

 

 三人に背を向け歩きながら、シノンは思わず盛大な舌打ちをかましていた。

 

――ああ、ちくしょう――

 

 不機嫌な表情を隠そうともせず、シノンは足音を鳴らしながら大股で歩いていく。

 誰が見ても明らかなほど、彼はかなり苛立っていた。

 脳裏にはネフェニーの俯いた姿がずっと居座り、それがシノンをますます苛立たせた。

 まるで自分自身を見せられているような気がして堪らなかったからだ。

 

――あんなモンみせるなよ。気分悪ぃ――

 

 どれほど技量や功績をあげようと、身分の低さだけで全てを否定されることへの怒り。

 生れの卑しさゆえ、侮辱されることへの憎しみ。

 ネフェニーの姿はその数々の鬱積を湧き上がらせるのに充分だった。

 

 どうしてそんな卑屈になる。

 どうして身分なんてくだらないことに拘る。

 どうして俺たちがこんな目に遭う。

 

 そんなに俺たちは恥ずかしい存在か。

 

 シノンの怒りの矛先は、自分を虐げたものたちから、ネフェニーを笑い者にした輩にまで、

 行き尽くせる所全てに渡って広がっていく。

 だがそれも、背後から響いた音によって霧散していった。

 

 

 シノンはゆっくりと振り返る。

 視線が無意識に、下の方でコロコロと転がっている兜に向かった。

 先ほどの音は、どうやらこの兜が、地面に叩きつけられた音だったらしい。

 視線を真正面に向けてみる。

 そこには鮮やかな新緑の髪を持つ美しい娘が、涙目で自分を睨みつけていた。

 

「は・・・恥ずかしゅう・・ない」

 怒りに燃える瞳は、迷い無くまっすぐに自分を捕らえている。

 

「貴方のゆぅ通り、私は恥ずかしゅうなった。

 でも、そりゃあ私だけじゃ。

 私の家族も、村も、国も、何も恥ずかしいことなんて無い」

 

 つかつかとネフェニーはシノンに向かって歩いていく。

 先ほどの俯いた姿からは信じられない変貌だった。

 

「私は家族のみんなも、村のみんなも、この国も好きじゃ。誇りじゃ!

 じゃけぇ救いたいって思うたんじゃ。

 でも、貴方の言葉でげに恥ずかしゅうなった。

 笑われて当然だとも・・・」

 

 まっすぐに自分を見据える瞳には、懸命さ、一途さ、揺ぎ無い意思の輝きが宿っている。

 偽りのない彼女本来の姿を見て、シノンは言葉をかけた。

 

「立派じゃねえか」

 

 少なくとも、オレよりは。

 そんなモン、遠い昔に捨て去ってしまった自分よりは、遥かに。

 シノンは地面に転がった兜を取り上げ、ネフェニーの片手を取り、その上に置いた。

 

「隠してんなよ。もったいねえ」

 

 ぽんと兜を一度叩き、シノンはくるりと振り向き、去っていった。

 ネフェニーはそのまま動かなかった。

 ようやく正気を取り戻したヨファが、ネフェニーに駆け寄り名を呼んでも動かなかった。

 終いにはチャップから大丈夫だと念を押され、それでようやくシノンの背を追いかけていった。

 

 

「シノンさん」

「ああ? 何だよ。もう終わりだろ」

「そうじゃないよ。ありがとうシノンさん」

「何でお前から礼を言われなきゃならねえんだよ」

「だって・・」

 

 彼女が自分から兜を取るなど、滅多に観られるものではない。

 自分も数度言葉を交わし、口元のみの笑顔を見られるようになってから、ようやく兜を外してもらえたのだ。

 だがこの人は、たった一度だけで、彼女の頑なになった心を解かしてしまった。

 しかもこの人が他人を褒めるなど、それこそ滅多にない。

 やはり今日、会わせて良かったと、ヨファは心の底から思った。

 ヨファの意味深な笑みに、シノンは多少うんざりしながらも、ぽつりと一言呟いた。

 

「それにしても、もったいねえなあ、あいつ。綺麗な顔してんのに」

「・・・・は?」

「そういやガトリーからあいつの名前聞いたことねぇな。

 ガトリーも馬鹿だよなあ。こんな掘り出しモン見逃すなんて」

「あの、シノンさん」

「いやあ、本当に今日は目の保養が出来たぜ。眼福だなこりゃ」

「シノンさん!」

 

 ついに怒鳴り声を上げるヨファに、ようやくシノンは顔を向けた。

 

「・・・シノンさん。もしかしてネフェニーさんの顔しか褒めてないの?」

「いいモンを褒めて何が悪いんだよ」

「そんなトコしか見てないの!?」

「まあ美人を愛でるには、ガキにゃまだ早ぇかもな」

 

 やはりシノンはネフェニーの顔しか気に入っていないのだ。

 

 自分はこの人の良さを他人に判ってもらおうと思っていた。

 確かに良い印象を持ってもらえたとは思う。心を開いてくれたのが、何よりの証拠だ。

 シノンとて彼女の本音に少しは興味を示してくれたはずだ。

 だがそのネフェニーを、そんな対象の目で見られるのは嫌だった。

 

「シノンさんのすけべ!!」

 

 先ほどまでの気持ちをぶち壊された反動か、頭に血が上りすぎたヨファは思いつくままに叫んでいた。

 だがシノンは大人だった。

 

「で?」

「! ね、ネフェニーさんに変なコトしたら、許さないからね!!」

 

 言い捨て、ヨファは駆け去っていった。

 小さくなる背を眺めながら、シノンは聞こえるはずもない言葉を口にした。

 

「言葉の上っ面だけで判断するから、ガキだって言われるんだよ」

 

 もちろん先ほどまでの言葉は、ヨファの意味深な笑みに対するただの牽制に過ぎない。

 彼女に対する賛辞も、もちろん顔のことを言ったのではなく、彼女の偽りのない姿に対してだ。

 いや、顔のことも別に否定しなくていいかなと、シノンはもう一度ネフェニーの美しい素顔を思い出しては一人頷いた。

 

 

 まだ動けずにいるネフェニーに、どうしたものかと悩み続けるチャップは、とりあえず兜を被せてやった。

 何度硬直する顔を見ても、その瞳は初めて見る輝きに満ちていた。

 シノンが兜を渡し振り返る直前、ネフェニーは釘付けになったのだろう。

 彼の笑顔を。

 チャップも見ていたのだが、何とも嬉しそうな顔をしていた。

 それは、彼女の心が解放されたからだろうか。

 もちろんチャップも嬉しかった。彼女がここまで自分を他人にさらけ出す姿を、ついぞ見たこともなかったからだ。

 これをきっかけに、ネフェニーにはもっと多くの人と親しんでほしいものだ。

 

「優しいこたぁ優しいんじゃろうけど」

 

 あの時みせた一瞬の視線も、悪意や意地悪さは一切感じられなかった。

 ただ恥じる彼女に対して、苛立ちを感じていたのは見て取れた。

 だからあえて、シノンに言葉を続けさせたのだ。

 もしかしたら、こういう言葉も必要かもしれないと。

 優しさだけでは大して傷つくことはないだろうが、それではいつまでも強くもなれない。

 効果は予想以上だった。

 

 ただ、その効果はチャップの予想を遥かに凌駕していった。

 

「なんっちゅうか、罪な人じゃのぉ」

 

 厳しさの中にある確かな優しさを、ネフェニーはしっかりと感じ取っていた。

 ただヨファはそれを、憧れという形に進化したのに対し、

 ネフェニーはそれを、ほのかな恋情に変えてしまったのであった。

 

 

 

 

 あとがき

 シノネフェは、シノン→ネフェニーでも、シノン←ネフェニーでも好きです。

 今回はおぼろげなシノン←ネフェニーに仕上げました。シノンさんは罪な人。

 

 

 

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