『寸刻』
金属がぶつかりあう激しい音もなく、一本の矢がとすっと相手の胸を貫いた。
仕留めた確認も惜しいほど、シノンは疲労の伴う瞳でぬかりなく辺りを探る。
まだ片付いた訳ではない。広がる大地に所狭しと入り乱れる敵味方の状況を逐一把握し、確実に敵を屠る。
それが自分の役割だった。
汗と返り血でぬめる掌を拭きながら、最小の動きで次の矢をつがえ。
気配がした。
半ば本能のように身体を翻したその目の前に、冷たい輝きを持つ剣先があった。
ここまで近づかれていた事に気付けなかった自分を罵り、呪い殺す勢いで睨みつけるその先に、
剣先が迷い無く自分の心の臓に迫る。
迫る。
だが剣先が自分の胸元に触れる前に、その軌道が突如、有り得ない方角に逸れた。
剣を握る人間もろとも、横から飛び出た槍に貫かれ、その勢いで身体がくの字に折り曲がった。
ずっ! と槍が抜け、その人間はどさりと地面に崩れ落ちる。
そこでようやく、シノンは息を吐き、呼吸を再開した。
見れば自分の危機を救ってくれたその人物も、同じように息を吐いていた。
「・・お前は」
「だ・・大丈夫・・・ですか?」
今しがた人一人を倒したとは思えないほど、その声はか細かった。
深い海の色の鎧が華奢な身体を覆い、顔は兜のせいで半ばほど隠れている。
そんな容姿、この傭兵団で一人しかいない。
ネフェニー。確かそんな名前だ。
その彼女は、先ほどからじっとこちらを伺っていた。
もしかして、先ほどの言葉から返答を待っているのかもしれない。
戦場に身を置くものとして、そんなノンキな彼女に半分苛つき、半分呆れながら、シノンは口を開いた。
「ああ」
その言葉にほっとしたのも束の間。
ネフェニーは瞬時に手槍に持ち替え、振り返る。
視線の先の状況を頭が理解する前に、手槍の切っ先が向かっていった。
ドス。
矢を構えていた敵が、仰け反るように後ろに倒れていく。
だがそれは自分の槍によるものではない。
「長弓だ。あんたの得物じゃ届かねえよ」
その声に、視線をシノンに戻した時、彼は同じく長弓の構えを解いていた所だった。
「これで貸し借りなしだぜ。じゃあな」
使いこなされた弓に持ち替え、シノンは踵を返し、再び視線が敵を探しだそうとして。
「あ・・ありがとうございました!」
声に、シノンは何となく振り向く。
振り向かれ、ネフェニーは身体を強張らせながら、深々とお辞儀をした。
そんな彼女の姿に、一瞬だけだか眩暈がした。
戦場の真っ只中で、こんなに堂々と礼を言われたのは生まれて初めてだった。
いつもの彼ならば真っ先に怒鳴り散らしていただろう。
だが戦いの連続で疲れ果てていたのか、過酷な状況に神経が色々とやられてしまったのか、
彼女の言葉に対し、何故か辛辣な言葉は浮かんでこなかった。
「ああ、あんたもな」
普段のシノンを知っているものならば、彼の口からこんな言葉が出ることにまず驚愕しただろう。
だがネフェニーはあまり彼の素性も性格も把握していなかったことが幸いしたのか、そのままの意味で受け取った。
にこりと兜から覗くその顔が微笑んだ。
そしてもう一度礼をし、今度は彼女の方から先に戦場に向かっていった。
やがてシノンも動き出す。
矢をつがえながら、ほんの一瞬だけ、先ほどの笑顔を思い出した。
兜のせいで全体は拝めなかったが、想像していたよりも、それはかなり綺麗な笑顔だった。
――借り返すの、早すぎたか――
そんなことをぽつりと一つ呟いた後、シノンは再び戦場の人間に戻っていった。
あとがき
初シノネフェSS。
この二人は、こういう無意識の恋愛が良い。
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